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「人格者だよな」病に冒された日本一の功労者・藤井将雄…ホークスナインの思いと若田部健一の葛藤「本人には“知らない体”で話すというのがね…」
posted2026/08/31 11:02
藤井は投手陣のまとめ役だった。その本当の病状をいち早く知らされた親友の若田部健一は苦悩することに
text by

喜瀬雅則Masanori Kise
photograph by
Kazuaki Nishiyama
当時、1軍投手コーチの尾花高夫は、1999年のシーズン中から、練習中に藤井将雄が妙な咳き込みを見せるのが、何とも気に掛かっていたという。
「なんか、どう言ったらいいのかな? ちょっと音を引くような咳だったんで、それはおかしいなと。藤井にも『一度、病院に行け』って言ったんだ」
尾花にとって、藤井の存在は「中和剤」であり「投手陣を和ませてくれた」という、実に貴重な存在だった。当時の絶対的エースは工藤公康で、1999年の時点でプロ18年目の36歳、98年までに積み重ねてきた白星は151。工藤以外に通算100勝を突破したような中堅、ベテランクラスは見当たらず、それこそ工藤に“物申す存在”がいなかった。
藤井に言われれば工藤も……
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「藤井は人格者だよな。誰からも愛された。あいつがいたから、あの時のピッチャー陣はまとまったんだよ。工藤と若いピッチャーの、ちょうど間が藤井。両方にモノが言えたんだ。工藤にも言えて、もちろん若いヤツにも言えた。チーム全体の雰囲気、ピッチャー陣の雰囲気、ホントに和ませてくれた。工藤にも、藤井以外が言ったら『何だ、この野郎』ってなるんだけど、藤井に言われたら工藤も『分かったよ、やるよ』みたいな、そんな雰囲気になったんだよ」
ある時、ノック中に工藤がポロリと打球をこぼした。尾花はすかさず、藤井に目配せをする。尾花の意をくんだ藤井は、若手投手が見ている前で、工藤を大声で“叱責”する。
「工藤さん、あれで若手のお手本になるんですか? ちゃんとやって下さい。もう一回!」
もちろん、この逆パターンも“準備”されていた。

