博多の人・王貞治BACK NUMBER
「人格者だよな」病に冒された日本一の功労者・藤井将雄…ホークスナインの思いと若田部健一の葛藤「本人には“知らない体”で話すというのがね…」
text by

喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2026/08/31 11:02
藤井は投手陣のまとめ役だった。その本当の病状をいち早く知らされた親友の若田部健一は苦悩することに
工藤が、さすがと思わせる動きを見せると、尾花は再び、藤井に視線を送る。
「おい、若いの、今の工藤さんみたいにやるんだ!」
藤井からの“賛辞”に「工藤もまんざらじゃない表情なんだよな」と尾花は、その時の光景を思い出しながら、ふと笑った。
ADVERTISEMENT
「俺が直接言うと、やっぱりちょっと、な。そういうところで、藤井がちゃんと言ってくれた。すごくアイツに助けられたんだ」
その尾花に、藤井は意を決して、ある問い掛けをしてきたのだという。
「尾花さん、本当に僕たち、優勝できるんですか?」
真正面から、その思いを尾花にぶつけてきたのは、藤井だけだったという。
「できる、絶対できる」
「本当ですか?」
「だから、俺の言うことを守ってくれ」
藤井は、尾花の言葉にうなずいた。何としても優勝するために、工藤にも臆せず、そして若手にも分け隔てなく、投手陣の雰囲気を盛り上げ、鼓舞する“声”を常に掛け続けたのだ。
小久保裕紀の感謝
その心配りと優しさに、現ソフトバンク1軍監督の小久保裕紀も助けられた。
チームが首位争いを展開していた1999年序盤、4番・小久保は極度の打撃不振に陥ってしまい、打率が2割を切ることもあった。
自分がいたら、優勝への“妨げ”になる。そう思いつめた小久保は、自らの意思で監督室を訪れ、王に「4番を外してください」と直訴したことすらあった。
「裕紀、きょうが開幕だ」
グラウンドで目を合わせると、藤井は決まって、小久保にこう声を掛けたという。
「その言葉を、もう、ずっと掛けてくれていました」
沈みがちな小久保の心を、藤井の“日々の激励”が支えてくれたのは言うまでもない。
「誰からも好かれる、ホントにもう、真っすぐで熱い人でした」
小久保も、2000年の夏前には、薄々ながら、藤井が“厳しい状態”にあることを知ったという。苦しいときを支えてくれた3歳年上の兄貴分を、小久保も慕い続けた。


