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野ボール横丁BACK NUMBER
「僕は帰ってきました」阪神・藤浪晋太郎がかつて夢見た“満員の甲子園でのカムバック”…「米国に行かせてください」メジャー移籍を阪神に訴えた日
posted2025/12/13 11:02
2022年10月、ポスティングシステムによるメジャー挑戦を表明した藤浪晋太郎
text by

中村計Kei Nakamura
photograph by
JIJI PRESS
その書籍のなかから“藤浪晋太郎、30歳の告白”を紹介する。阪神時代の苦悩、イップスの話、メジャー挑戦、結婚願望……今年2月、筆者はアメリカへ飛び、藤浪晋太郎(当時マリナーズ)に話を聞いた。【全4回の4回目/第1回~第3回も公開中】
◆◆◆
<2016年、広島戦での「161球事件」(前回の記事)。その日を境に、「藤浪は生意気で人の意見を聞かない」というニュアンスの報道が増える。それでも藤浪は満員の甲子園に帰ってくるシーンを思い描いていた。>
藤浪は熱心な競馬ファンであり、武豊ファンでもあった。藤浪の心を支えた風景の一つに、2013年の日本ダービーがある。そのときのパネル写真を部屋に飾っていた。
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藤浪が19歳のときの同レースで、武豊を背にしたキズナは大外からの豪快なまくりで逆転勝ちを収めた。2010年の落馬以来、不調が続いていた武豊が優勝インタビューで「僕は帰ってきました」という名言を残したレースでもある。
「すごい好きなレースなんです。豊さんが苦しい時期を乗り越えて勝ったレースでもあるので。自分もそんな風になりたいなと思って」
「みんな落ちて上がってくる人が好きなんやな」
この頃、藤浪が描いていたシーンがある。
「もう一回、大舞台でビシッと抑えて、大歓声を浴びて、自分がヨッシャーって吠えている場面を想像しながら、毎日、練習していました」
満員の甲子園で「僕は帰ってきました」と言うつもりでいたのだ。
阪神時代の最後の方は打ちのめされながらも、こんな強かさも身につけていた。
初めて開幕を二軍で迎えた2019年、藤浪は8月1日に一度だけ甲子園のマウンドに立った。虎党の聖地に久々に藤浪の名前がコールされると球場は嵐のような歓声に包まれた。この試合は最終的に4回3分の1を投げ1失点だったが、8四死球とやはり安定性を欠いた。それでも降板するときは一段と大きな拍手を浴びた。
ただ、藤浪は冷静だった。

