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野ボール横丁BACK NUMBER
「僕は帰ってきました」阪神・藤浪晋太郎がかつて夢見た“満員の甲子園でのカムバック”…「米国に行かせてください」メジャー移籍を阪神に訴えた日
text by

中村計Kei Nakamura
photograph byJIJI PRESS
posted2025/12/13 11:02
2022年10月、ポスティングシステムによるメジャー挑戦を表明した藤浪晋太郎
「嬉しかったというのもありますけど、うがった見方をすると、みんな落ちて上がってくる人が好きなんやな、って思いましたね。そういうストーリー、好きなんやなって」
すでに酸いも甘いも噛み分けた25歳は、そんな大衆心理に流されるほどうぶではなかった。
新型コロナが大流行した2020年、藤浪はシーズン終盤に中継ぎとして活路を見出す。
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登板イニングが短いこともあり、自己最速を更新する162キロをマークするなど復活の兆しを見せ始めていた。
じつは5年前に伝えていた“メジャー希望”
メジャー挑戦の希望を球団に伝えたのは、その年のオフのことだった。無論、藤浪もすぐに渡米が実現するものだとは思っていなかった。
「いきなり言って、すぐに行かせてもらえるわけではないので。野茂(英雄)さんや、(武)豊さんに、そういう話をしてもらったことがあって」
そういう話とは、「日本を飛び出す」ことについての話である。
「豊さんもアメリカとかフランスに行ったことがあるので、行けるチャンスがあるならのちのち得るものも大きいから、絶対にチャレンジした方がいいって言ってくれていたんです」
膨らみつつあった夢。それが抑え切れないものになりつつあった。
「人生の中で、そういうタイミングだったんだと思います」
競馬好きな藤浪は武豊と親交が深かった。武と酒を飲みながら食事をしているとき「豊さんって、大変じゃないですか」と聞いたことがある。つまり、武豊という人生を生きることについてストレートに質問したわけだ。
「そうしたら『俺は思ったことないね』と。なんでですか? って聞いたら『俺は武豊だと思ってるから』って。そうやって、自分はスペシャルなんだと思うと、ある程度のことは許せるんだというような話をしてくれて。すげえなと思いましたね。傲慢だとは思わなかった。日本って自分を小さく小さく言うのが美徳とされているじゃないですか。謙虚でいなきゃならないというか。そんな中、豊さんの俺は俺やからっていう考えはいいなと思いましたね」
俺は藤浪だから――。
以降、折に触れて藤浪もそう自分に言い聞かせるようになった。
「俺やから、ぐらいの感じで。あえて、そう思うようにしています。思い込むことも大事かな、って」
翌2021年オフの交渉の席でも藤浪は球団にアメリカ行きの意志に変わりがないことを伝えた。すると、球団は、あと一年プレーしたらポスティングシステムにかけると約束してくれた。


