甲子園の風BACK NUMBER

甲子園優勝3回“やまびこ打線”池田高も定員割れの現実「まるでホテル…寮を新設」公立校で県外生徒が入学、激変する現場「5年後、面白くなると思います」 

text by

田中仰

田中仰Aogu Tanaka

PROFILE

photograph byNumberWeb

posted2025/08/03 11:02

甲子園優勝3回“やまびこ打線”池田高も定員割れの現実「まるでホテル…寮を新設」公立校で県外生徒が入学、激変する現場「5年後、面白くなると思います」<Number Web> photograph by NumberWeb

徳島県西端の山間にある池田高校

「追いつかれたのだと思います。蔦さん時代の打撃特化型もそう。筋トレもそうです。かつて池田が他のチームから参考にされたように、次は池田が外の世界からもっと吸収すべきなんじゃないかなと。成功したやり方を見直すのは勇気がいる。でも思い切って変わらないといけないんじゃないかなって」

池田の復活はあるのか?

 楠本も黙って見ているわけではない。3年前、筆頭オーナーを務める徳島インディゴソックスに野球アカデミーが誕生したのだ。

「プロ野球や大学野球の経験者が小、中学生に指導しています。見ていて驚いたんですよ。僕らの時代は、ボテボテのゴロでも、正面で捕れって言われてたじゃないですか。でも今は、ベアハンド(素手)で捕っていい。目的はアウトにすることなんだからと教えていました。有望な子が多いので、彼らが池田に行ってくれたら……って。5年後、面白くなると思いますよ」

ADVERTISEMENT

 池田が勝ち続けた時代からすでに40年が経った。池田野球部の歴史は蔦文也の歴史でもあった。英雄視された蔦の――孫である哲一朗の言葉を借りれば――「B面」の人柄も徳島で聞いた。それでも蔦が率いた池田野球部の光彩はあまりに眩しく、令和の現在も、池田町の人々はあの頃の幻影を探していた。

 初夏の池田町は鈍くも穏やかな陽光に包まれている。やまびこの残響が聞こえたような気がした。

〈蔦文也とは何者だったのか?〉〈揺れる名門…池田の今〉編からつづく

#1から読む
夏春連覇“あの名門公立校”なぜ甲子園から消えた?「美談は言わないよ」現地取材でポツリ…日本中が熱狂「神様になった監督」池田高野球部のナゾを追う
この連載の一覧を見る(#1〜6)

関連記事

BACK 1 2 3 4
#池田高校
#蔦文也
#畠山準
#水野雄仁
#井上力
#川原良正
#梶田茂生
#PL学園高校
#清原和博
#桑田真澄
#荒木大輔
#早稲田実業高校
#広島商業高校
#同志社大学
#徳島商業高校
#読売ジャイアンツ
#鳴門渦潮高校
#徳島科学技術高校
#鳴門高校
#慶應義塾高校

高校野球の前後の記事

ページトップ