甲子園の風BACK NUMBER
「オール徳島→部員7割が県外出身」甲子園3度優勝の名門公立校が激変、池田高は今…取材中に「それは、ないです」現監督がキッパリ否定した“ある質問”
posted2025/08/03 11:00
池田高校(徳島)のグラウンドで練習する野球部員たち。今年7月に撮影
text by

田中仰Aogu Tanaka
photograph by
NumberWeb
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名門校には珍しく、池田に監督室はない。グラウンド脇に置かれたパイプ椅子。そこに現監督、井上力はいた。
「最近は知らない人も増えてきました」
夏の徳島大会初戦を2日後に控えた7月10日。13時にはじまる練習の前、部員たちに筆者を紹介するついでに井上が尋ねた。
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「Numberって知ってる人?」
50人中3人が手を挙げる。3人……それが現実だ。時代は移る。
井上は再び部員に質問した。「取材されてうれしい人?」。すると次は全員が手を挙げた。この反応に救われた気分になった。井上が続けた。
「今日こうやって取材していただくのも、はっきり言ってしまえば、過去の栄光があるからだよ。みんなの結果を見て来たわけではない。だけど、そういう歴史を持つチームだということを忘れないで練習してほしい」
ミーティングを終えた井上がポツリと呟いた。
「最近は知らない人も増えてきました」
一瞬、媒体のことかと思った私は「無理もないです。もっと頑張らなくてはいけません」と返した。が、誤解だった。井上は池田が強かった時代のことを話していたのだ。
池田が背負う歴史には、ある種の重みがある。80年代初頭の黄金期があまりに鮮烈すぎたのだ。山間の地方公立校が甲子園11連勝、夏春連覇、ドラフト1位選手を2年連続で輩出。日本中を熱狂させるストーリーがあった。世代によって差はあれど、知名度でいえば、横浜や大阪桐蔭といった名門と並ぶだろう。しかし、ここ10年間の夏は、2019・21年の徳島大会4強が最高成績だ。
なぜ低迷? 監督の答え
井上は、かの名将・蔦文也が甲子園を制した「最後の代」の一人である。1986年、春の甲子園を制した池田で6番センターだった。日体大を卒業後、中学校教師を10年勤めるも、高校野球監督の夢を諦めきれず高校教師に。勝浦高校、徳島商業、穴吹高校の野球部監督を経て2016年、母校の監督に就任した。
単刀直入に尋ねた。池田はなぜ甲子園から遠のいたのか。「そうですね……」。しばらくの間を置き、井上はゆっくりと噛みしめるように話した。


