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『バトルスタディーズ』の原点。
作者が語る、あの夏とPL学園。

posted2020/08/12 11:40

 
『バトルスタディーズ』の原点。作者が語る、あの夏とPL学園。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

『バトルスタディーズ』は暴露ではなく、なきぼくろ氏のPL学園への愛の結晶なのである。

text by

村瀬秀信

村瀬秀信Hidenobu Murase

PROFILE

photograph by

Hideki Sugiyama

 なきぼくろは、左目の下にある。本名は出川亮太。KKコンビが甲子園を賑わせた1985年に大阪で生まれた。彼の一風変わった経歴を選手名鑑風にいえば、枚方シニア―PL学園―大阪美術専門学校―バンド活動―イラストレーターを経て、現在の職業は漫画家だ。

 そして2015年から、彼はその類稀な経歴を活かした人生初の漫画連載をスタートさせている。

“バトルスタディーズ”

 自らが憧れ、焦がれ、入学したPL学園での3年間の経験をもとに、かつての野球少年たちの憧れであり、野球界にあらゆる噂や都市伝説のような逸話が飛び交う永遠の学園の真の姿。野球修験者たちの学び舎での生業を描いたフィクション込みの実録風マンガである。

 なによりも、元PL学園の選手が漫画家となって作品を描くという奇跡のようなこのマンガは、連載開始以来大きな反響を呼びながら、今月には単行本の24巻が発売される。

 作者の「なきぼくろ」というペンネームの由来は単純に「覚えてもらえるから」という理由だ。しかし、彼のPLでの3年間はそれこそよく涙を流したという。Number1008号『真夏の号泣伝説』にご登場いただき、自身の原点となった1998年「PL学園×横浜高校」延長17回の死闘を語っていただいたが、なきぼくろ先生の、本誌では明かされなかった涙と汗のPL物語をNumber Webで特別に公開する。

心をかっさらった「PL対横浜」。

「やる気も目標もなく、なんとなく野球をやっていたフニャフニャだった13歳の僕が、1998年の夏、チームで五厘刈りにする決まりのため、散髪へ行くまでの時間つぶしで見たのが『PL対横浜』です。これまで甲子園も、野球にもあんまり関心のなかった僕が、あっという間に心をかっさらわれました。

 一番の衝撃は、PLの選手たちが楽しそうに試合してたこと。正捕手の石橋勇一郎さんの負傷で2年生の田中雅彦さんがド緊張して出てきた時、3年生たちに笑いながらパンパン叩かれたやないですか。なんやこの人らは試合中なのに、缶ケリして遊んでる時みたいにイキイキしとる。なんでやって。

 世間的にはPLは『歯を見せてはいけない』とか、軍隊的なイメージかもしれないけど、あの試合をよく見ると、松坂さんのストレートを見た4番の古畑和彦さんが『はえー』と言ってたり、エースの上重聡さんもニコニコ笑っているんですね。なんやこれは……と。壮絶な試合が終わって放心状態になる頃、僕の憧れの場所はPL学園しか考えられんようになっていました」

【次ページ】 病的なまでのPLオタクに。

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