- #1
- #2
甲子園の風BACK NUMBER
「風評被害はありました」全校生徒89人“ナゾの新設校”エナジックで甲子園出場…神谷嘉宗監督とは何者か?「ケツバットで野球部を辞めた」意外な経歴
posted2025/06/23 11:03

エナジックスポーツ高等学院野球部の神谷嘉宗監督(70歳)。その指導の源泉には、かつて味わった理不尽な経験があった
text by

松永多佳倫Takarin Matsunaga
photograph by
JIJI PRESS
“理不尽なケツバット”で芽生えた反骨心
史上最も早い6月8日に梅雨明けした沖縄では、夏の甲子園の県予選が14日から始まった。群雄割拠時代に入った沖縄で優勝候補筆頭に挙げられるのは、沖縄尚学、興南といった常連強豪校。そして、春のセンバツに出場したエナジックスポーツ高等学院だ。
センバツでのエナジックの登場は革新的だった。横文字の高等学校であることに加え、ノーサイン野球で1勝を挙げたことでも話題を集めた。高校野球界にどのような新風を吹き込むのか、注視すべき高校のひとつとも言える。エナジックは現在全日制と通信制の併置校であり、全校生徒数は全日制83人、通信制6人の計89人。内訳として野球部は全員全日制で57人、ゴルフ部14人、陸上部10人、卓球部5人、ボウリング部2人、一般生1人となっている。
エナジックを率いるのは、沖縄県内で史上初めて3校での甲子園出場を達成した神谷嘉宗監督だ。センバツ2回戦ではサングラスとマスクで完全防備した剣呑な姿でも注目を集めた神谷は、かつて関係者の間で“悲運の名将”と呼ばれていた。
ADVERTISEMENT
「なかなか甲子園に行けませんでしたからね。1981年から八重山高校で監督をやらせてもらってますが、その時代から『根拠があるときは、サインはどんどん無視していいから』と言ってました。やはりグラウンドに立っている選手にしかわからない間や、一瞬のスキを察知できませんのでね」
ゆっくりとした口調で朗らかな笑みを浮かべる神谷の野球人生は、まさに数奇と言ってよい。
沖縄中部の読谷で生まれた神谷は健康優良児として育ち、学童野球、中学野球で抜群のセンスと運動神経を発揮。サードで四番のキャプテンとして活躍した。当然、読谷高校でも野球部に入る予定だったが、野球部に所属していた2つ上の兄から「自分が引退するまでやめとけ」と言われ、入部を断念したという。