革命前夜~1994年の近鉄バファローズBACK NUMBER
野茂英雄のメジャー初勝利を「抱き合って喜んだ」…野茂が去り“最下位転落”した近鉄同僚の思い「また野球をできてよかった」「すごいヤツだよな」
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKoji Asakura
posted2025/05/30 11:04

野茂はドジャースでセンセーションを巻き起こし、かつての同僚たちは様々な思いを抱く。だがこの事件は単に美談で収まるものではなかった
「あいつ、すごいヤツだよな」
巨人に移籍していた阿波野は、オールスターで先発した野茂の姿が印象的だったという。
7月12日、札幌でのヤクルト戦は円山球場のデーゲームだった。移動するバスの車中のテレビには、テキサス州アーリントンで開催されていたメジャーの第66回オールスターゲームが、地上波の生中継で映し出されていた。
「あれを見た時に、なんか鳥肌が立ちまくったんだよ。藤井寺での、元気のない野茂を見ていたからさ。あいつ、ここまで上り詰めたんだ、すごいヤツだよな、と」
美談に収まらない葛藤と苦悩
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もう、日本では野球をやりたくない。
そのために、野茂はあえて「任意引退」という、前例のない手段に打って出た。
日本の野球協約によれば、アメリカではそれが「自由契約」の扱いになる。その解釈をタテにして、野茂は夢を追う決断を下し、退路を断った。
一歩間違えれば、メジャーでも契約を勝ち取れず、日本にも戻るに戻れず、野球人生をそれこそ、強制終了させられる事態に至っていたかもしれない。
その恐れを感じていた近鉄のチームメートたちは、だから、エスカレートする事態の推移に、不安を抱えながら見守っていた。
監督・鈴木啓示との確執、そこに嫌気が差し、夢のメジャーへ飛び立った。
その単純な図式で、野茂のメジャー挑戦を捉えるのが、半ば定番になっている。
しかし、理想を追い求めた挑戦者という『美談』には決して収まり切らない“葛藤と苦悩”を乗り越えたその先に、あの「トルネード旋風」が生まれたことを、決して忘れてはならない。
なぜなら、この“野茂の飛躍”がなければ、日本野球の歴史は、また違った道を辿っていたかも知れないからだ。
〈つづく〉

