野茂はドジャースでセンセーションを巻き起こし、かつての同僚たちは様々な思いを抱く。だがこの事件は単に美談で収まるものではなかった / photograph by Koji Asakura ©Naoya Sanuki ドジャース入団発表でのオマリー会長と野茂 ©JIJI PRESS 野茂はセンセーションを巻き起こした ©Koji Asakura 1995年のオールスターに先発した野茂 ©Kazuaki Nishiyama 1994年、自主トレをともにする佐野重樹と野茂。のちにトラブルを起こしてしまった後悔、そして94年の真相を佐野が語った ©KYODO 病気が重くなる以前、2013年頃の佐野 ©Shigeki Yamamoto 1994年の佐野重樹 ©SANKEI SHIMBUN 1994年、自主トレをともにする佐野と野茂 ©KYODO 現在の佐野 ©Masanori Kise 1994年開幕戦の野茂 ©Koji Asakura 鈴木啓示監督ら首脳陣と野茂たちは調整法から野球観まで対立した。そして1994年の主力選手たちは次々と流出していく ©Koji Asakura 1994年、近鉄は目の前で西武の胴上げを許すことに ©Bungeishunju 勝負の年、鈴木啓示(右)は米田哲也(中)を新コーチに招聘した ©SANKEI SHIMBUN 阿波野秀幸 ©Takahiro Kohara 13年間にわたり近鉄でプレーした「顔」だった金村義明も、1994年オフに去ることに ©Koji Asakura 吉井理人はヤクルトに移籍した ©Hideki Sugiyama 石井浩郎は巨人へ ©Koji Asakura 現在の阿波野秀幸 ©Hirofumi Kamaya Number714号の表紙 1994年開幕戦の野茂。手前が捕手・光山 ©Koji Asakura 野茂は団野村(右)を代理人として交渉に臨み、野球協約を読み込んで決定的な盲点を見つけだした ©KYODO 阿波野秀幸 ©Hirofumi Kamaya 佐野重樹 ©Koji Asakura 野茂はいわば「野球亡命」することになった ©Masato Daito 吉井(中)自身は野茂(右)を気にかける余裕がなかったというが……。左は池上誠一 ©Takahiro Kohara 野茂が苦渋の決断で日本球界での退路を断つさまを見ていた佐野、石井、吉井、光山らは「大丈夫なのか」と固唾を飲む思いだった ©Takahiro Kohara 石井が野茂から聞いていたこととは ©Koji Asakura 現在の光山英和 ©Masanori Kise 吉井理人は千葉ロッテの監督を務めている ©Nanae Suzuki 当時はボストン・レッドソックスに所属していた稀代の名投手、クレメンス ©Kazuaki Nishiyama 江夏豊はNumber主催の「たったひとりの引退式」でメジャー挑戦を表明した ©Bungeishunju 吉井(右)はニューヨーク・メッツで野茂(左)と再会することになった ©Kazuaki Nishiyama 今では考えられない「191球」。そして野茂の調子は下降し…22年後の藤浪晋太郎も似た軌跡を描いていったように思えるが ©Koji Asakura ©Naoya Sanuki ©Takahiro Kohara 阿波野秀幸 ©Naoya Sanuki 「トレンディエース」の一人として人気だった阿波野秀幸 ©Takahiro Kohara 1989年の優勝決定の胴上げ投手となった阿波野 ©Kazuaki Nishiyama 西崎幸広、渡辺久信、星野伸之 ©Takahiro Kohara(L)/Naoya Sanuki(C)/Takao Yamada(R) 現在の阿波野 ©Hirofumi Kamaya ©Takahiro Kohara 野茂のルーキーイヤーのキャンプでの阿波野(14番)と野茂(11番) ©Takahiro Kohara 野茂英雄 ©Takahiro Kohara 仰木監督時代の近鉄は豪快なエピソードに事欠かない ©Takao Yamada 現在の石井浩郎 ©Yuki Suenaga ©Takahiro Kohara ©Takahiro Kohara 取材に対応する野茂 ©Takahiro Kohara 阿波野が見た事件とは ©Takahiro Kohara 現役時代の光山英和 ©Naoya Sanuki 石井浩郎 ©Koji Asakura 92、93年とセーブ王を獲得していたクローザー・赤堀元之。だがまさかの野茂英雄交代から近鉄の歯車は狂っていった ©Kazuaki Nishiyama 石井浩郎 ©Yuki Suenaga 92、93年とセーブ王を獲得していた赤堀元之。94年も最終的に24セーブでセーブ王となるが ©Koji Asakura 伊東勤。西武一筋で2379試合に出場、引退後即西武の監督に就任して日本一にもなっている ©Takao Yamada 西武・鈴木健。94年には規定打席不足ながら.350、12本塁打を記録した ©Takao Yamada 西武球場での開幕連敗から近鉄の歯車は狂っていった ©BUNGEISHUNJU 結果的に野茂英雄のラストイヤーとなった「1994年の近鉄バファローズ」に何が起きていたのか…メジャー挑戦30周年に番記者が改めて迫る ©Koji Asakura 1995年、アメリカにセンセーションを巻き起こした野茂 ©Naoya Sanuki ©Naoya Sanuki 近鉄の大エースだった阿波野秀幸 ©Takahiro Kohara 現在の阿波野氏 ©Hirofumi Kamaya 1994年開幕戦の野茂 ©Koji Asakura 快投を繰り広げた開幕戦の野茂 ©Koji Asakura 西武・郭泰源も負けじとスコアボードに0を並べていた ©Koji Asakura 石井浩郎。最終的にこの94年に.316、33本塁打というキャリアハイの成績を残した ©BUNGEISHUNJU 1994年開幕戦、ノーヒットノーランまであと3人の快投を続ける野茂英雄。しかし先制弾の4番・石井浩郎に交代が告げられて… ©Koji Asakura 1994年の中村紀洋。ベテラン・金村義明に代わって頭角を現し、この年101試合に出場してレギュラーへの足がかりをつかんだ ©BUNGEISHUNJU 参議院会館で当時を振り返る、現在の石井浩郎 ©Yuki Suenaga ダイエー時代の佐々木誠 ©Koji Asakura 球史に残る大型トレードで西武に移籍した1994年の佐々木誠。37盗塁で盗塁王を獲得し、20本塁打も記録した ©Kazuaki Nishiyama ノーヒットノーラン目前で清原和博の「捕れた当たり」がヒットになり、一転ピンチに。それでも野茂英雄への信頼は揺るがないはずだったが… ©Koji Asakura 清原和博。1994年も26発を放ち、黄金時代の西武の4番として君臨していた ©Naoya Sanuki 清原は二塁に ©Koji Asakura 内野陣がマウンドに集まった。左からショート吉田剛、野茂、セカンド大石大二郎、キャッチャー光山 ©Koji Asakura 長打力が売りの鈴木貴久(背番号2)だったが実は守備を含めた運動能力で一目置かれていた ©Kazuaki Nishiyama 当時を振り返る石井浩郎。現在は参議院議員を務める ©Yuki Suenaga 守備の名手だったセカンド・大石大二郎 ©Koji Asakura 日本でのラストシーズンとなった1994年、西武との開幕戦に登板した近鉄・野茂英雄。この日、8回までノーヒットの投球を見せていたが… ©Koji Asakura ピンチとなりマウンドに集まる近鉄の選手たち。野茂が投げ続けると見られていたが… ©Koji Asakura

1995年のオールスターに先発した野茂 ©Kazuaki Nishiyama

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野茂はドジャースでセンセーションを巻き起こし、かつての同僚たちは様々な思いを抱く。だがこの事件は単に美談で収まるものではなかった / photograph by Koji Asakura ©Naoya Sanuki ドジャース入団発表でのオマリー会長と野茂 ©JIJI PRESS 野茂はセンセーションを巻き起こした ©Koji Asakura 1995年のオールスターに先発した野茂 ©Kazuaki Nishiyama 1994年、自主トレをともにする佐野重樹と野茂。のちにトラブルを起こしてしまった後悔、そして94年の真相を佐野が語った ©KYODO 病気が重くなる以前、2013年頃の佐野 ©Shigeki Yamamoto 1994年の佐野重樹 ©SANKEI SHIMBUN 1994年、自主トレをともにする佐野と野茂 ©KYODO 現在の佐野 ©Masanori Kise 1994年開幕戦の野茂 ©Koji Asakura 鈴木啓示監督ら首脳陣と野茂たちは調整法から野球観まで対立した。そして1994年の主力選手たちは次々と流出していく ©Koji Asakura 1994年、近鉄は目の前で西武の胴上げを許すことに ©Bungeishunju 勝負の年、鈴木啓示(右)は米田哲也(中)を新コーチに招聘した ©SANKEI SHIMBUN 阿波野秀幸 ©Takahiro Kohara 13年間にわたり近鉄でプレーした「顔」だった金村義明も、1994年オフに去ることに ©Koji Asakura 吉井理人はヤクルトに移籍した ©Hideki Sugiyama 石井浩郎は巨人へ ©Koji Asakura 現在の阿波野秀幸 ©Hirofumi Kamaya Number714号の表紙 1994年開幕戦の野茂。手前が捕手・光山 ©Koji Asakura 野茂は団野村(右)を代理人として交渉に臨み、野球協約を読み込んで決定的な盲点を見つけだした ©KYODO 阿波野秀幸 ©Hirofumi Kamaya 佐野重樹 ©Koji Asakura 野茂はいわば「野球亡命」することになった ©Masato Daito 吉井(中)自身は野茂(右)を気にかける余裕がなかったというが……。左は池上誠一 ©Takahiro Kohara 野茂が苦渋の決断で日本球界での退路を断つさまを見ていた佐野、石井、吉井、光山らは「大丈夫なのか」と固唾を飲む思いだった ©Takahiro Kohara 石井が野茂から聞いていたこととは ©Koji Asakura 現在の光山英和 ©Masanori Kise 吉井理人は千葉ロッテの監督を務めている ©Nanae Suzuki 当時はボストン・レッドソックスに所属していた稀代の名投手、クレメンス ©Kazuaki Nishiyama 江夏豊はNumber主催の「たったひとりの引退式」でメジャー挑戦を表明した ©Bungeishunju 吉井(右)はニューヨーク・メッツで野茂(左)と再会することになった ©Kazuaki Nishiyama 今では考えられない「191球」。そして野茂の調子は下降し…22年後の藤浪晋太郎も似た軌跡を描いていったように思えるが ©Koji Asakura ©Naoya Sanuki ©Takahiro Kohara 阿波野秀幸 ©Naoya Sanuki 「トレンディエース」の一人として人気だった阿波野秀幸 ©Takahiro Kohara 1989年の優勝決定の胴上げ投手となった阿波野 ©Kazuaki Nishiyama 西崎幸広、渡辺久信、星野伸之 ©Takahiro Kohara(L)/Naoya Sanuki(C)/Takao Yamada(R) 現在の阿波野 ©Hirofumi Kamaya ©Takahiro Kohara 野茂のルーキーイヤーのキャンプでの阿波野(14番)と野茂(11番) ©Takahiro Kohara 野茂英雄 ©Takahiro Kohara 仰木監督時代の近鉄は豪快なエピソードに事欠かない ©Takao Yamada 現在の石井浩郎 ©Yuki Suenaga ©Takahiro Kohara ©Takahiro Kohara 取材に対応する野茂 ©Takahiro Kohara 阿波野が見た事件とは ©Takahiro Kohara 現役時代の光山英和 ©Naoya Sanuki 石井浩郎 ©Koji Asakura 92、93年とセーブ王を獲得していたクローザー・赤堀元之。だがまさかの野茂英雄交代から近鉄の歯車は狂っていった ©Kazuaki Nishiyama 石井浩郎 ©Yuki Suenaga 92、93年とセーブ王を獲得していた赤堀元之。94年も最終的に24セーブでセーブ王となるが ©Koji Asakura 伊東勤。西武一筋で2379試合に出場、引退後即西武の監督に就任して日本一にもなっている ©Takao Yamada 西武・鈴木健。94年には規定打席不足ながら.350、12本塁打を記録した ©Takao Yamada 西武球場での開幕連敗から近鉄の歯車は狂っていった ©BUNGEISHUNJU 結果的に野茂英雄のラストイヤーとなった「1994年の近鉄バファローズ」に何が起きていたのか…メジャー挑戦30周年に番記者が改めて迫る ©Koji Asakura 1995年、アメリカにセンセーションを巻き起こした野茂 ©Naoya Sanuki ©Naoya Sanuki 近鉄の大エースだった阿波野秀幸 ©Takahiro Kohara 現在の阿波野氏 ©Hirofumi Kamaya 1994年開幕戦の野茂 ©Koji Asakura 快投を繰り広げた開幕戦の野茂 ©Koji Asakura 西武・郭泰源も負けじとスコアボードに0を並べていた ©Koji Asakura 石井浩郎。最終的にこの94年に.316、33本塁打というキャリアハイの成績を残した ©BUNGEISHUNJU 1994年開幕戦、ノーヒットノーランまであと3人の快投を続ける野茂英雄。しかし先制弾の4番・石井浩郎に交代が告げられて… ©Koji Asakura 1994年の中村紀洋。ベテラン・金村義明に代わって頭角を現し、この年101試合に出場してレギュラーへの足がかりをつかんだ ©BUNGEISHUNJU 参議院会館で当時を振り返る、現在の石井浩郎 ©Yuki Suenaga ダイエー時代の佐々木誠 ©Koji Asakura 球史に残る大型トレードで西武に移籍した1994年の佐々木誠。37盗塁で盗塁王を獲得し、20本塁打も記録した ©Kazuaki Nishiyama ノーヒットノーラン目前で清原和博の「捕れた当たり」がヒットになり、一転ピンチに。それでも野茂英雄への信頼は揺るがないはずだったが… ©Koji Asakura 清原和博。1994年も26発を放ち、黄金時代の西武の4番として君臨していた ©Naoya Sanuki 清原は二塁に ©Koji Asakura 内野陣がマウンドに集まった。左からショート吉田剛、野茂、セカンド大石大二郎、キャッチャー光山 ©Koji Asakura 長打力が売りの鈴木貴久(背番号2)だったが実は守備を含めた運動能力で一目置かれていた ©Kazuaki Nishiyama 当時を振り返る石井浩郎。現在は参議院議員を務める ©Yuki Suenaga 守備の名手だったセカンド・大石大二郎 ©Koji Asakura 日本でのラストシーズンとなった1994年、西武との開幕戦に登板した近鉄・野茂英雄。この日、8回までノーヒットの投球を見せていたが… ©Koji Asakura ピンチとなりマウンドに集まる近鉄の選手たち。野茂が投げ続けると見られていたが… ©Koji Asakura

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