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プロ野球PRESSBACK NUMBER
楽天の盗塁成功率が爆上がり中「走塁のことは三木に聞け」三木肇監督の知られざる原点「生き残るために一芸を…」20代前半であえて選んだ“脇役”の道
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佐藤春佳Haruka Sato
photograph bySANKEI SHIMBUN
posted2025/05/15 11:00
ヤクルト入団会見で当時の野村克也監督を担ぎ上げる18歳の三木肇(前列左、前列右は息子の野村克則)
走塁に関してはビデオテープで相手投手の映像をチェックし、牽制の対策やリード幅などを独学で学んだ。自ら実戦で試しながらさらに研究していく中で、次第にチーム内では「走塁のことは三木に聞け」というほどの存在になっていった。守備や走塁、その延長線上で作戦や戦略を学んだことは後々の糧となるのだが、三木監督自身は自らの現役時代には反省も多いと振り返る。
「レギュラーとしての道を極められなかったけれど、色々な経験ができたのは自分の財産だと思います。でも一方で、もっと努力できたんじゃないかとは思う。怪我もよくしましたし、自己管理も含めて甘かった。もっと自意識を上げていかなければこの世界では厳しいと今になれば分かりますけど、時すでに遅し、ですよね。だからこそ、選手たちには現状に満足して欲しくないし、常にもっと出来ることはないか探して欲しいと思っているんです」
朝6時に受けたトレードの電話
もう一つ、プロ野球人生の転機となったのが日本ハムへのトレード移籍だ。2008年1月、池山との松山自主トレの休養日にゴルフコンペのために朝6時に起きると球団幹部から電話が入った。「ゴルフが終わったら東京に戻ってこい」。藤井秀悟、坂元弥太郎の投手二人に三木を加えた3対3の交換トレードだった。
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「スワローズが大好きでしたし、このチームに必要とされなくなっちゃったんだ、という寂しさは正直ありました」
30歳で踏み出した新天地。しかし、北の大地での出会いが、三木を指導者の道へと導いていく。〈つづく〉

