革命前夜~1994年の近鉄バファローズBACK NUMBER
「えっ、嘘だろう」開幕戦で野茂英雄まさかの交代にクローザー赤堀元之を襲った呪縛「ゼロでいかなきゃ」…1994年の近鉄の歯車はこうして狂い始めた
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2025/05/02 11:07

92、93年とセーブ王を獲得していたクローザー・赤堀元之。だがまさかの野茂英雄交代から近鉄の歯車は狂っていった
去年は「心中」したじゃないか
1年前と、何が違うんだろう。
1993年4月10日(藤井寺)での開幕戦は、鈴木啓示にとっての“監督初陣”。4-3と1点リードで迎えた9回、野茂は1死満塁のピンチを招いた。
鈴木が、マウンドへ向かった。
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「お前と心中や」
続投指令に応えた完投勝利は、この日の降板を命じたときと同じ球数「147」だった。
状況はむしろ、1年前の方がしんどいのではないか?
今回だって、エースと「心中する」といっていたはずだ。なのに、最後の最後のピンチで下ろした。「草魂」と呼ばれた大投手が、最後の最後に頼ったのが「データ」だった。
なぜ、あの場面で代えたんですか。「心中」って言っていませんでしたか?
そう聞けるだけの胆力を、駆け出しの野球記者は、まだ持ち合わせていなかった。
悪夢を払拭できなかった赤堀
ベンチ裏から、宿舎へ戻るバスが停まっている駐車場までの長い階段を、背番号19が一人で歩いていくのが見えた。
私も階段を駆け上がって、その横に並んだ。
「心中、って言ってたやん、な……」
翌2戦目。6-5の1点リードで迎えた8回、赤堀が再びマウンドに立った。
今日こそ、勝つ。開幕戦の悪夢を振り切るべく、イニングまたぎも覚悟の連投は、逃げ切りへの強い意志だ。
しかし、悪夢は続く。
四球と送りバントでの1死二塁から、鈴木健に左越えの同点二塁打を許すと、さらに2死一、二塁とされたところで、打席に佐々木誠を迎えた。
「僕が、勝ち越しのホームラン、打ったんですよね」
佐々木の記憶も、鮮明だった。
「尾を引いたんやろね」
149キロのストレートを、佐々木がライトスタンドへたたき込んだ。
開幕連敗。近鉄はこのつまずきが響いて、開幕ダッシュに失敗する。4月は6勝10敗1分け、5月も10勝14敗と2カ月連続で負け越した。
開幕戦ですべての歯車が狂った
さらに6月に入ると、4日から5連敗、12日から4連敗と黒星が積み重なり、16日の時点で19勝34敗1分け、借金15の最下位に低迷していた。
「そりゃ、やっぱり、その後の2カ月間、泥沼のね、もう近鉄が最下位になったのは、やっぱりあの開幕戦によるものが、大変大きいと思いますよ」
石井にとっても、腑に落ちない開幕戦だった。
「初戦で、すべてが『えっ?』ってなった試合ではありましたね。振り返ってみたら、そうですね。その時は、単に痛い1敗だけやったんですけどね」
光山にも、消化し切れない思いが残った。
どこか、しっくりとこない。何かが、噛み合っていない。
その違和感が、それぞれの心の底に沈殿し、近鉄が低空飛行を続けていた頃、野茂にまつわる、妙な“事件”を耳にした。私は、そのことを野茂に直接、聞いたことがあった。
「そのことは、また、別の時にお話しします」
その“再取材”のタイミングを逸したまま、30年以上の月日が流れた。そして、阿波野秀幸が教えてくれたのは、私が裏を取り切れなかった、その“真相”だった。
〈つづく〉

