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「え? ジャイアンツじゃん」斎藤雅樹を“平成の大エース”に導いた運命の選択「中日入り確実」が急転…ドラフト直前に現れた“ナゾの新聞記者”
posted2025/05/02 17:01

数々の記録を打ち立てた「平成の大エース」巨人・斎藤雅樹
text by

鷲田康Yasushi Washida
photograph by
BUNGEISHUNJU
180cmを超える長身に厚みのある胸板。現役時代は「背筋が盛り上がってまるで羽根が生えているように見えた」と言われた筋肉に代わって、今は少し脂肪も混じっているかもしれない。それでも引退から25年近くが経ち、60歳となった斎藤雅樹の分厚い体躯は相変わらずの大きさだった。
「斎藤さんはズルいんですよ」
現在は巨人の編成本部長代理を務め、斎藤の1学年後輩となる水野雄仁が現役時代にこうこぼしていたのを覚えている。
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「困った時にはあの凄い身体で思いっ切り腕を振れば、アウトコースのギリギリに力のあるストレートが自然にいくって言うんです。それで空振りとれるか、悪くてもファウル。苦労はないよね」
冗談めかした言葉の裏側には斎藤の投手としての才能に対する、水野の羨望とある種の畏怖が入り混じっていた。
「体が小さかった」意外な少年時代
プロ野球のアンタッチャブルレコードとなっている11試合連続完投勝利に始まり、最多勝利5回(セ・リーグ最多タイ)、最優秀防御率3回、沢村賞3回(プロ野球最多タイ)、ベストナイン5回(投手部門歴代2位タイ、セ・リーグ1位タイ)と数々のタイトルを受賞。「平成の大エース」と称された斎藤の数々の栄光は、この恵まれた身体と抜群の運動能力で築かれたことは確かである。
だが、そこに至るまでに斎藤は何度も変貌を遂げてきている。
あのでっかい身体もそうだった。
「子供の頃は体が小さくてリトル(軟式野球川口リトル・レッドボーイズ)時代から中学に入った頃は150cm台。中学を卒業するときもまだ163cmくらいでした」
斎藤は意外な少年時代をこう語る。レッドボーイズでは捕手をやったが、小さな身体でキャッチャーミットが上手く操れなかった。
「チームは強くて関東大会の決勝まで進んでテレビ中継されたんですけど、そこで2、3個パスボールして途中で交代ですから(笑)。体の大きさに比べてキャッチャーミットが重いから、上手く捕球できなかったんですね」