革命前夜~1994年の近鉄バファローズBACK NUMBER
「ちょっとヤバいな」野茂英雄の開幕戦大記録を西武も覚悟したそのとき…先制弾の近鉄4番・石井浩郎が耳を疑った言葉「何を言っているんだ!」
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKoji Asakura
posted2025/05/02 11:05
1994年開幕戦、ノーヒットノーランまであと3人の快投を続ける野茂英雄。しかし先制弾の4番・石井浩郎に交代が告げられて…
佐々木が2004年から2年間、オリックスのコーチを務めていたとき、私はサンケイスポーツのオリックス担当記者だった。
「うわっ、久しぶりだね。顔見て、思い出したよ」
旧交を温める再会は、長く取材に携わってきた私にとっても一つの楽しみでもある。
「ちょっとヤバいな、と」
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主題に戻ろう。
1994年の開幕戦は、西武ライオンズ・佐々木誠としての“初戦”でもあった。
「あの日の野茂、いやー、よかった、よかった。俺、1番だっけ? 全然打ってなかったんだよね、その日」
三振、三振、一ゴロ、そして8回の第4打席も二飛。
「7回くらいから、いや、6回くらいかな。5回終わって、ちょっとヤバイな、という感じでしたね。僕が最後に回って来たのって9回? あ、8回か。9回の先頭は清原だったもんな。結局、野茂が打ちにくいっていうのは、コントロールがバラバラだから、球数も多いでしょ、常に。三振は取るけど、今でいったら、多分6回くらいで交代ですよ。球数制限とかあるから。
でも、9回まで投げたら、ホントに27のアウトのうち、20くらい三振いっちゃうよね。僕らは結局、フォークボールをどうやって振らそうかって考えている、向こうの罠にはまっているしね。一番、野茂からホームラン打ってるの、誰? キヨ(清原)? もう、真っすぐばっかりやもんな、キヨには」
半ば覚悟していた屈辱
佐々木も、お手上げの状態だった。
8回まで、奪三振12。四球も6。外野まで打球が飛んだのも2本だけ。それこそ西武打線を、完全に制圧していた。
そこに、主砲・石井の3ラン。もう、相手ベンチの盛り上がりは最高潮だ。内心、屈辱の大記録達成を佐々木も半ば覚悟した9回、先頭打者は4番・清原和博だった。
〈つづく〉

