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「僕が行きたいのはジャイアンツだけです」オリックスのドラ1指名を拒否…内海哲也が明かす東京ガス入社の真相「俺、高校をやめて働くわ」
text by
内海哲也Tetsuya Utsumi
photograph byJIJI PRESS
posted2023/07/12 17:00
2000年11月17日、ドラフト会議でオリックスから1位指名を受けた敦賀気比高時代の内海哲也。携帯電話で仰木彬監督と言葉を交わした
この年、巨人は1位で阿部慎之助さん、2位で上野裕平さんというふたりの大学生を逆指名で獲得します。僕は3位で指名してもらえればいいと考えていました。
ですが、いざ本番のドラフトでは、オリックスが1位で僕を指名しました。
「最高の評価を受けてうれしく思います」
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指名された直後にそう答えたのは本心です。プロ球団から高校生が1位で指名されるのは、この上なく名誉なことです。
でも社会人でプレーすれば、3年後には逆指名の権利を手に入れることができるかもしれません。母親や学校関係者と相談して、ドラフト会議から19日後の12月6日、東京ガスにお世話になることを発表しました。
スカウトに伝えていた「指名はしないでください」
進路を決めるまでに自問自答したのは、自分の素直な気持ちです。もしオリックスの指名を拒否したら、どんな批判を受けることになるのか。正直、それはまったく想像していませんでした。高校生だった僕は本当にピュアというか、心の中にあったのは「ジャイアンツのユニフォームを着たい」という気持ちだけでした。指名を拒否したらどうなるかとか、他のことはまったく考えていなかったのです。
ドラフト前の面談では、オリックスのスカウトにも「僕が行きたいのはジャイアンツだけです。指名はしないでください」と伝えていました。
2年前の1998年、オリックスから1位指名された選手が入団を拒否し、担当スカウトが責任を感じて自死するという不幸な出来事があったばかりで、当然、僕の頭にもよぎりました。でも、事前に意思を伝えさせてもらった上での指名だったので、自分の希望を優先させてもらうことにしました。
もちろんオリックスに対し、指名していただいたのにお断りして申し訳ないという気持ちは今でもあります。
以上のような経緯で、社会人の東京ガスに進むことに決めました。ジャイアンツのユニフォームを着たい、という子どもの頃からの夢をどうしても実現したかったからです。