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「僕が行きたいのはジャイアンツだけです」オリックスのドラ1指名を拒否…内海哲也が明かす東京ガス入社の真相「俺、高校をやめて働くわ」
text by
内海哲也Tetsuya Utsumi
photograph byJIJI PRESS
posted2023/07/12 17:00
2000年11月17日、ドラフト会議でオリックスから1位指名を受けた敦賀気比高時代の内海哲也。携帯電話で仰木彬監督と言葉を交わした
「今日、帰って来なくていいよ」
母親から突然そう言われたのは、ちょうど野球部の活動が休みになり、京都の実家に帰ろうとしていたタイミングでした。当時の敦賀気比では学校がテスト期間に入ったときなどに部活が休みになり、実家に帰省することが時々ありました。それが突然、「帰って来なくていい」と言われたのです。
「え? どういうこと?」と思って、実家に帰ると両親の離婚を知らされました。
「俺、高校をやめて働くわ」
母親にそう伝えました。父親が借金を残していなくなった一方、ふたりの弟の学費が必要になります。母親ひとりでは大変だろうなと、高校生ながらに想像できました。
「あんた、何言ってんの。高校だけは出なさい。お金は私が何とかするから」
「わかった。じゃあ高校だけは卒業して、高校を出たら働くわ」
僕がプロに行けるかもしれないと思い始めたのは、ちょうど両親の離婚が決まった頃でした。それから1年間野球に没頭して、「ドラフト候補」と注目してもらえる存在になったのです。
プロ野球選手になることができれば、高校生にとって信じられないくらいの大金が入ってきます。本心としてはジャイアンツに入りたかったけれど、どの球団でもいいから、まずはプロに入るしかない。
母親のためにも、プロ野球選手になろうと決意しました。
1位指名の名誉と、貫いた夢
2000年11月17日、「運命の日」と言われるドラフト会議が刻々と近づいてくる中、蓋をしたはずの気持ちが揺らぎ始めました。
やっぱり、ジャイアンツに入りたい――。
当時の規定では、大学生と社会人の1、2位は逆指名(2001年から自由獲得枠)で好きな球団と契約することができました。高校卒業後、社会人チームで3年間をすごして逆指名の権利が得られれば、憧れのジャイアンツのユニフォームを着ることができるかもしれない。
そう思い始めた一方、家族の状況もあります。
どうしようか……。
ひとりで悩んでいると、母親に言われました。
「あんたの人生だから、好きにしていいよ。自分は自分の道を行きなさい。家族のことを心配するのは、やめなさい」
母親の言葉を受けて改めて考えた結果、自分の気持ちにウソはつけないという結論に至りました。
やっぱり、大好きなジャイアンツに入りたい――。
そんな僕の希望は、ドラフト前に新聞各紙で報じられました。