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「内心、腐っていた。試合後にカップ麺を食べたり…」堂安律が後悔する“甘すぎな17~18歳の暗黒時代”「敵は自分なんだ、と今になって」
text by
堂安律Ritsu Doan
photograph byJ.LEAGUE
posted2023/04/23 11:01
2015年、当時高校2年生ながらプロデビューを飾った当時の堂安律
2015年、年明けすぐに行われたトップチームの沖縄キャンプでケガ人が続出し、「ユースから誰か呼ぼう」という話になった。ほかにもいい選手がたくさんいたのに、なぜか俺に声がかかった。ユースに上がったばかりの当時、ジュニアユースで磨いたドリブルにキレが出てきて、調子がものすごくよかったからかもしれない。
実際、オフ明けで調整中のプロの選手を相手に、コンディションの仕上がっていた俺はキレキレだった。(岩下)敬輔くんや宇佐美くんといった先輩たちからかわいがられて、憧れの選手のブログに写真を載せてもらえたことがすごくうれしかった。
俺のサッカー人生のなかでもいちばんの暗黒時代
キャンプでのパフォーマンスを評価してもらえて、2015年にはトップチームの試合に出させてもらった。16歳352日でクラブ史上最年少となるJリーグデビューを飾れたけど、順風満帆だったわけじゃない。ここからプロの大きな壁にぶつかることになる。
2016年には、このシーズンから新しく設立されたガンバ大阪U-23で試合に出ることが多くなった。攻撃面は評価してもらっていたけど、守備がまったく機能していなかったから、監督の(長谷川)健太さんになかなか使ってもらえなかった。
あのころは、俺のサッカー人生のなかでもいちばんの暗黒時代だったと思う。ピッチに立ったら一生懸命やるから、周りにはそう思われていなかったけど、内心、腐っていた。ときにはそれが態度に出てしまった。
当時、U-23の監督だったノリさん(実好礼忠)に「おまえら、帰れ」と言われ、「いいすか」と反発して、本当に帰ったこともあった。17歳、18歳とはいえ、プロとして甘すぎたことが多かった。
自分自身のメンタルコントロールがまったくできていなくて、仲間に対するリスペクトもなかった。公式戦で無意識に舌打ちをして、ノリさんにこっぴどく叱られたこともあった。それからは一度もしていないけど、その当時はあまりにも心のバランスが取れていなかった。
「ちゃんとやらなあかんぞ。健太さんにチクるぞ」
U-23時代には、人数がそろわず、4人、5人で練習した日もあったし、リフティングをひたすらやらされる日もあった。トップチームに上がれず、フラストレーションを溜める若い選手ばかりで、ノリさんも大変だったと思う。ノリさんはやさしくて、近い距離感でグチも言えるような指導者だった。俺の状態を見極めて、「ちゃんとやらなあかんぞ。健太さんにチクるぞ」と言ってくれたりするノリさんのキャラクターに、当時の俺は救われていた。