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「内心、腐っていた。試合後にカップ麺を食べたり…」堂安律が後悔する“甘すぎな17~18歳の暗黒時代”「敵は自分なんだ、と今になって」
posted2023/04/23 11:01
text by
堂安律Ritsu Doan
photograph by
J.LEAGUE
〈世界を意識したスペイン遠征。「7年後の東京五輪でエースとして日本を優勝させる」〉
俺がヨーロッパでプレーしたいと思うきっかけになったのは、そのスペイン遠征だった。中2、中3、高1と毎年のようにスペイン遠征に行って、現地でレアル・マドリードやバルセロナ、エスパニョールと本気の試合をした。
当時は俺たち日本人のほうが技術は高くて、ヨーロッパの強豪にもほとんど勝っていた。俺は中3のとき、大会のMVPにも選ばれた。でも、その大会の得点王は韓国のイ・スンウ。当時から注目されていた同い年の選手で、俺はものすごくライバル意識を持っていた。
彼の目の前でゴールを決められたことは、ジュニアユース時代でいちばんうれしい出来事だったかもしれない。まあ、その後、やり返されてしまうんだけど。
彼らは中2、中3だけど、すでに契約の世界で生きている
スペイン遠征中にコーディネーターの人から、「彼らは中2、中3だけど、すでに契約の世界で生きている。給料をもらっている選手もいれば、学校に行くことを免除されている選手もいる」という話を聞かされ、衝撃を受けた。今でも鮮明に覚えている。
まだまだ両親に育ててもらっている感覚の強かった当時の俺からしたら、ものすごく違和感があった。自分の力だけで生きていくことへの憧れや嫉妬。「俺も早く海外に行って、彼らを超こえていきたい」と思った。
でも、海外のレベルがものすごく高いとは思わなかった。まったく歯が立たないという経験は一度もしたことがなかったし、実際に俺たちはレアルやバルサにも勝っていたから。「このままそういう相手に勝ち続けていったら、将来はとんでもない日本人選手になれるんじゃないか」という思いのほうが強かった。
当時から俺は将来のことをリアルに考えていた。2017年のU-20W杯で活躍して海外へ行くのが、目指すべき理想のルートだと思っていた。そのためにはこれから3~4年、どのように実力を磨いていけばいいか。そうやって逆算していた。
中3の9月には、東京五輪の開催が決まった。運命だと思った。「7年後の東京五輪でエースとして日本を優勝させる」という夢ができた。ガンバ大阪のトップチームで活躍しない限り、その先の海外挑戦もないことはわかっていた。立ち止まってなんかいられなかった。
敬輔くんや宇佐美くんといった先輩にかわいがられた
〈暗黒のU-23時代。「サッカー選手として成り上がる」という覚悟が足りなかった〉
ジュニアユースからユースに上がった2014年は、ガンバが3冠を達成した歴史的なシーズンだった。