Jをめぐる冒険BACK NUMBER
J開幕、ドーハの悲劇、浦和レッズの低迷…濃密すぎる福田正博の1993年「ジーコの言葉は嬉しかったけど…」「申し訳ない気持ちでいっぱい」
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2023/04/24 11:01
Jリーグが開幕し、W杯出場をかけた戦いにも身を置いた福田正博。1993年は激動の時間だった。
北朝鮮を3-0で下して息を吹き返した日本は、韓国に1-0で勝利して悲願のW杯出場に王手をかけた。イラクとの最終戦でもベンチスタートだった福田に出番が回ってきたのは、1-1の同点だった59分のことだった。交代カードの1枚目が福田だった。
「あの場面で投入してくれたっていうことは、オフトは俺に相当期待していたんだと思う。同じくスタメンから外れた高木はその後、起用されてないからね」
69分、中山のゴールで日本が勝ち越しに成功する。
悲願のW杯出場まであと、二十数分――。しかし、運命の瞬間が訪れる。
アディショナルタイムにイラクがショートコーナーを仕掛け、日本の左サイドからセンタリングが上がってきた。
そのとき、福田はゴール前で相手選手のマークに当たっていた。
「スローモーションみたいにボールがゆっくりとゴールに吸い込まれていって、ネットを揺らしてコロコロって転がったのは覚えている。でも、そのあとはまったく覚えてない。ショックだったのもあるだろうし、もう下を向いちゃっていたんだな。自分にとっては人生で最もショッキングな出来事だったし、W杯に出られなかったこと以上に、自分が何もできなかったことへの失望感が大きかった」
不調から抜け出せない要因は、自信をなくしていたことに加え、経験不足もあった。
「中東でプレーすること自体が、1次予選のUAEラウンドに続いて2回目。気候にも慣れていないし、水だって向こうの水を飲まないといけない。そういうことも含めて、うまく対応できなかったな」
ロッカールームの光景も、チームメイトと交わした会話も、どうやってホテルまで帰ってきたのかも覚えていない福田だが、今も脳裏に刻まれていることがある。
帰りの飛行機の中で見た、オフトの悲しそうな表情だ。
「オフトに『どうしたんだ?』と声をかけられたのは覚えている。言葉はそれだけだったけど、期待していたのに……というオフトの気持ちが感じ取れた。都並(敏史)さんのケガと俺の不調はオフトにとって大誤算だったと思う。申し訳ない気持ちでいっぱいだった」
ドーハから帰国後、体に鞭を打ち、気持ちを奮い立たせてJリーグのピッチに立ったが、レッズは最下位でJリーグ初年度を終える。2年目の94年も低迷し、“Jリーグのお荷物”と揶揄されてしまう。
「チームは勝てないし、自分も何をやればいいのか分からない。混乱するような時期は94年が終わるまで続いていた」
福田が93年のショックからようやく立ち直るのは、95年シーズンを待たなければならなかった。
(#3へつづく)