Jをめぐる冒険BACK NUMBER
J開幕、ドーハの悲劇、浦和レッズの低迷…濃密すぎる福田正博の1993年「ジーコの言葉は嬉しかったけど…」「申し訳ない気持ちでいっぱい」
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2023/04/24 11:01
Jリーグが開幕し、W杯出場をかけた戦いにも身を置いた福田正博。1993年は激動の時間だった。
スペインから帰国すると、時間の流れはさらに加速する。
最終予選の壮行試合を兼ねた10月4日のアジア・アフリカ選手権のコートジボワール戦を終えると、4日後に決戦の地であるカタールのドーハに旅立った。
そして10月15日、ハリファ・インターナショナル・スタジアムでサウジアラビアとの初戦を迎えるのである。
福田はこの重要な一戦に、平常心で臨めなかった。
「ヴェルディの選手たちはいつも勝っていたから、代表に来ても余裕と自信を持ってプレーしていた。でも、俺は残念なことに自信をなくしていたな。雰囲気に飲まれていたというのもあったと思う。それがプレッシャーということだったんだな。疲労やケガや自信喪失もあったけど、期待に応えようという気持ちばかりが先走って、自分のプレーを見失っていた気がするな」
当時、鹿島のジーコが「日本最高の選手は福田だ」と発言した。カズではなく福田だと言ったのだ。しかし、そんな最大級の賛辞ですら、福田はプレッシャーに感じていた。
「ありがたい言葉だったし、今でもそのことを言ってくれる人がいて、それは嬉しいことなんだけど、それに応えられるだけの力はまだなかった。力不足ということなんだ」
会心の一撃だったはずが…
そんな福田に、プレッシャーや不調を吹き飛ばすきっかけとなり得るシーンが訪れた。
それはサウジアラビア戦の前半20分だった。
ラモスが頭で折り返したボールが福田の前にこぼれてくる。それを福田は右足で完璧に捉え、渾身のシュートを見舞った。
会心の一撃――。
日本の先制ゴールが決まったと思われた瞬間、のちに国際サッカー歴史統計連盟によって20世紀のアジアナンバーワンGKに選出される、若き日のモハメド・アルデアイエに左手一本でセーブされてしまう。
「ショートバウンドで完璧に捉えた。すごく力が抜けていて、ミートした瞬間も軽い感覚で、今でもその感触は覚えている。打った瞬間に入ったと思ったし、パーフェクトなシーンだったと思う。俺にとって、あのシュートがすべてだった。あれが入っていたら、俺もチームも乗れたかもしれない」
こうして千載一遇のチャンスを逃した日本は、サウジアラビアと0-0で引き分け、続くイラン戦は1-2で痛恨の黒星を喫してしまう。
窮地に追い込まれ、オフト監督は先発メンバーの入れ替えを決断する。
左サイドバックを三浦泰年から勝矢寿延に、センターフォワードを高木から中山雅史に、そして、福田に代えて右ウイングに長谷川健太を送り出すのだ。
「仕方ないよな、と受け入れるしかなかったね」