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「JリーグでもPK蹴りたい。けっこう本気で」あのクロアチア戦、GK権田修一はなぜ“7番目”に手を挙げた?「日本人はぶち込むのが苦手」 

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松本宣昭

松本宣昭Yoshiaki Matsumoto

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posted2023/02/13 17:00

「JリーグでもPK蹴りたい。けっこう本気で」あのクロアチア戦、GK権田修一はなぜ“7番目”に手を挙げた?「日本人はぶち込むのが苦手」<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

カタールW杯ラウンド16、PK戦までもつれたクロアチア戦。日本代表GK権田修一は“7番目のキッカー”に立候補していた

「1回だけあるんです。FC東京U-15の頃、日本クラブユース選手権の準々決勝で、三菱養和のジュニアユースと対戦したときに。PK戦で蹴って、止められました(笑)。でも、その後に自分で止めて、試合には勝つことができたんですけどね」

 2003年8月、福島・Jヴィレッジのピッチで権田少年はPKを蹴った。本人はコースや球質まで覚えていないと言うが、その目撃者によると、インステップで、ゴールど真ん中にズドンとぶち込んだ。失敗には終わったものの、その強烈なシュートは相手GKの股間に直撃し、悶絶させたそうだ。

 カタールW杯で、権田の弾丸シュートが炸裂することはなかった。しかし、これがラストチャンスではない。本人には、まだ野望がある。

「普段のリーグ戦でPKの場面が来たら、蹴りたいなって思っているんです。“決めるのが当たり前”と思われているPKをGKが蹴るとなれば、自分自身にもかなりプレッシャーがかかる。そういう経験をしていれば、3年半後のW杯で、もしもまたPK戦になったとき、自信を持って蹴ることができるだろうなって。これ、けっこう本気で考えています」

 2023年も、権田は清水エスパルスでプレーすることが決まった。J2リーグの舞台で、日本の守護神がPKを蹴る。想像しただけで、新シーズンの楽しみがまた1つ増えた。

権田修一(ごんだ・しゅういち)

1989年3月3日、東京都生まれ。FC東京U-18から2007年にトップチーム昇格。16年にSVホルン(オーストリア)にレンタル移籍後、鳥栖、ポルティモネンセ(ポルトガル)を経て、21年に清水加入。22年カタールW杯では全4試合にフル出場した。日本代表通算38試合出場。187cm、84kg

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