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「桑田コイコイ」KKドラフト前に早スポが報じた幻のスクープ! PL学園・桑田真澄の独占取材と早大進学取りやめ→巨人入団の真相とは
text by
清水岳志Takeshi Shimizu
posted2022/11/08 06:21
早稲田大学進学を表明していたPL学園・桑田真澄をドラフト前に独占取材した早稲田スポーツの紙面
その時桑田は「受ければ、絶対に入れるんですか」と聞いてきた。
飯田は「早大は、そういうことはできない。推薦選手が4、5人いたら二人くらいは入るよ。まあ、しっかり勉強してください」としか言えなかった。しかし桑田は、受ければ入るという保証はないのか、としきりに聞いてきた。
桑田「4年後に巨人が1位指名してくれる保証はない」
11月、桑田から受験のために東京に行くという連絡があった。しかし、宿泊先は教えてくれなかった。そして「会いたい」という連絡があったので、受験の相談だと思って会ったところ、巨人に行きたいという話だった。
「4年間、早稲田に行ってもいいけれど、4年後に巨人が1位指名してくれる保証はない」というのが、桑田の巨人入りの理由だった。桑田が「入試、受けた方がいいなら、受けますよ」と言ったので、飯田は「そんなことをしたら、騒ぎはもっと大きくなるから、やめなさい」とたしなめた。
桑田は周りにどんな迷惑をかけているのか理解せず、同行してきたPL野球部長の方が恐縮しているようだった。さらに桑田は記者会見をしたいので、場所を用意してほしいと言ってきた。飯田は早大側がプロ入り宣言の記者会見場を提供するのは、理不尽だと思いつつも、日本鋼管高輪クラブの一室を確保し、金屏風を用意させた。
これには後日談がある。日本鋼管から巨人に入った選手の結婚式があった。その時、王貞治監督(当時)は、わざわざ飯田の席に来て「その節は、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。私も突然、トップの方から桑田指名といわれて、初めて知ったのです。こんなことは二度といたしません」と丁重な謝罪をしたという。(以下、省略)
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以上、「『早稲田スポーツ』の50年」から長々と引用した。
“弱い野球部を救ってくれ”。
喫茶室で桑田に話を聞いた早稲田スポーツ新聞会の記者の心情はこういうものだった。
桑田はあの試合で気持ちが変わったのか。その正しい記憶を知るのは本人しかいない。