プロ野球PRESSBACK NUMBER
「桑田コイコイ」KKドラフト前に早スポが報じた幻のスクープ! PL学園・桑田真澄の独占取材と早大進学取りやめ→巨人入団の真相とは
text by
清水岳志Takeshi Shimizu
posted2022/11/08 06:21
早稲田大学進学を表明していたPL学園・桑田真澄をドラフト前に独占取材した早稲田スポーツの紙面
「当日は東大戦ということもあり、観客はそれほど多いというわけではなかったと思います。桑田とキャプテンでショートだった松山(青学大・現オリックスコーチ)君と控えの投手だった井元(青学大)君の3人を、そのお父さんで元PLの監督をしていた井元さんが引率していました。僕らも緊張していましたが、高校生もいきなり喫茶店に連れてこられて緊張していましたね。インタビューの声以外、私語はほとんどなかった。
菅井さんが『桑田がいる』という情報を突然、持ってきたんです。どこで観戦していたかはわかりません。記事では、球場出口で接触した、と書いていますが、『既に引率者には了解を取っているので、ゲーム後に周囲に悟られないように喫茶店に移動しよう』ということだったと思います。
当時は球場の隣、外苑前の駅よりにボウリング場があって、そこの喫茶店でした。同行したのは菅井さん、小座野さんと私です。記事にも書きましたが、ドアで仕切られた部屋をお願いしました。店員にも桑田ということを知られたくなかった記憶がある。菅井さんの態度が堂々としていましたね」
桑田への一問一答を要約すると、
「叔父が早稲田の出身で小さい頃から聞かされていて、PLから早稲田へ行きたいと思っていた。最初から早稲田一本で法政、同志社などは考えていない。大学でもピッチャーをやりたい。勉学は自信がないけれども……。今日は7回から観ましたが、技術ということよりは雰囲気を観たかった。応援を楽しみました。観客が少なかったですね」
清水は桑田の入学を確信した、と書いている。
なぜ学生新聞がスポーツ紙を出し抜けたのか?
この日の観戦をつかんだのは早スポだけで、その他のスポーツ紙は接触できず、コメントもとれていないし、写真も取れていない。『日刊スポーツ』だけがベタ記事を載せていただけだった、と清水は記憶している。発行は数日遅れたが学生新聞がプロを出し抜いた記事になったわけである。
実はその日、最初に桑田を発見したのは『日刊スポーツ』整理部勤務の児玉恵司(82年卒)だった。児玉は当日、深夜勤務だったため個人的に神宮で観戦していて、偶然に桑田を見つけたのである。それをまず、早スポカメラマンの小座野容斉(87年卒)に耳打ちした。おそらく小座野は球場内を移動して写真を撮っていたため、児玉は伝えやすかったのではないだろうか。
児玉はその後、早スポの現役部員が桑田のインタビューを取っているとは知らずに、会社に上がった。同じ頃、神宮の取材から引き揚げてきたアマチュア野球担当が「桑田が来ていたらしい。どうやら『早稲田スポーツ』が接触したらしい」と日刊の編集局では騒ぎになっていた。
児玉は上司から「OBだろ、早スポの現役に聞いてくれないか」と頼まれる。
「桑田の写真を貸してくれ。日刊でも使いたい」