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「変な意地みたいなものは…ありましたね(笑)」楢崎正剛がいま明かす川口能活への“憧れと対抗心”「GK同士の関係はバチバチでもいい」 

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寺野典子

寺野典子Noriko Terano

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posted2022/10/05 17:25

「変な意地みたいなものは…ありましたね(笑)」楢崎正剛がいま明かす川口能活への“憧れと対抗心”「GK同士の関係はバチバチでもいい」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2019年3月、楢崎正剛の引退セレモニーに駆けつけた川口能活。長きにわたって日本代表の正GKの座を争った2人は、強い絆で結ばれていた

――2002年のW杯日韓大会は楢崎さんが正GKとして出場しましたが、その後のジーコ監督時代には、どちらかが試合に出ていても怪我をするとポジションを奪われ、相手が負傷するとふたたびチャンスが来る……というような時期もあったと記憶しています。

「そうですね。2002年は僕が試合に出ましたが、怪我をしていた2004年のアジアカップでは能活がすごく活躍した。その後にチャンスが巡ってきても、また自分が怪我をしてしまったり……。でも、そうやってギリギリのところで競い合っていたからこそ、常に高いモチベーションでいられたというのも事実です。同時に、ポジションが掴み切れないのはライバルがどうのではなく、自分自身の力不足で絶対的な信頼を得られてないんだと思わざるを得ない感覚もありました」

――控えに回った2006年のW杯ドイツ大会はそういう気持ちだったのですか?

「当時、僕自身はクラブでのパフォーマンスという点で、あまり納得できていなかった。それでもジーコは『代表はファミリーなんだから』と長く代表でプレーしてきた選手を大事にしてくれたと思います。ただ『代表で選ばれるだけの活躍をできているのか』という葛藤もあり、自分のなかでスッキリできていなかったので、居心地の悪さも感じていました。それでもメンバーに選ばれたわけですから、期待に応えられるよう、試合に出られなくてもやるべきことは精いっぱいやらなければ、と考えていましたね」

「フレッシュでないことを岡田さんに見透かされた」

――その後、イビチャ・オシムさんが監督に就任し、しばらく代表招集がありませんでしたね。

「たしか1年くらい呼ばれなかったのかな。でも自分としては『所属クラブに集中しよう。リーグで結果を残す時間にしなければ』と勝手に受け止めていました。その結果、パフォーマンスが上向きになったところで招集されたんです」

――オシムさんが病に倒れて、岡田武史さんが監督に就任。その後のW杯アジア予選では楢崎さんがゴールマウスに立ち、当然2010年のW杯南アフリカ大会でも……と誰もが思っていた。ところが、大会直前に川島永嗣選手にその座を奪われることになりました。

「このときもやはり要因は自分なんですよ。僕がメインで試合に出て最終予選を突破できたのは初めてのことでしたし、これまでで一番力になれた実感がありました。でも、同時にいろんな重圧があったのも事実です。『気持ちよく本大会へ』という空気でなければいけないのに、大会直前にチーム自体がうまくいっていない時期があり、自分のなかで背負いこんでしまった。フレッシュな感じがなかったんです。状況を乗り切れていなかった。それを岡田さんに見透かされたというような……。結局は自分、という感じはしますね」

【次ページ】 現役を続けるために下した、代表から離れる決断

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