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サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
「子どもの頃、めっちゃ貧乏で…」元日本代表・太田宏介38歳が語る“壮絶な過去”「サッカー選手になれよ」少年の心に響いた“あの名選手”の言葉
posted2025/08/10 11:04
2014年、ブラジル代表との親善試合に出場した太田宏介
text by

占部哲也(東京中日スポーツ)Tetsuya Urabe
photograph by
Takuya Sugiyama
「絶対にプロになって母親を楽にさせる」
そう誓った中学生の太田宏介はサッカーを続けた。ただ、周囲のサポートなしには成し遂げられなかった。6学年上で当時、大学生だった兄がアルバイトを増やし、就職してからも“父親”となって支援してくれた。母も働きに外へ出た。それでも、家計は「自転車操業」だった。
「スパイクがボロボロになっても、テープで巻いてはいていた。親には『この方が、蹴りやすい』って言って」
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活動費がどうしても足りない時もあったが、サッカー文化が根付いた町田市の大人たちが温かい手を差し伸べてくれた。
「中学の時に所属したFC町田(現FC町田ゼルビア)では、監督やコーチが足りない分の遠征費を負担してくれたと聞きました。あとは、おばあちゃんが助けてくれたり。それこそ、高校進学では、市内のライバルチームで同学年だった小林悠(川崎フロンターレ)のお母さんがめちゃくちゃ動いてくれて、助けてくれた。私立の麻布大附渕野辺高(現麻布大附高)の校長先生や監督にも話をつけてくれて、特待生で入れてもらえた。普通ならいけなかったし、もしかしたら、あそこでサッカー人生が終わっていたかもしれなかった。もう、この頃には自分の置かれた状況も分かる年齢になっていたので、感謝しかなかった」
“陰”を感じさせない陽気なキャラクター
15年以上前の壮絶な過去を直接、耳にした。そして、正直、意外に思った。現役時代に取材した太田は、チームの雰囲気を明るくするムードメーカー。U-20日本代表では「調子乗り世代」とも言われた。一方で、チームメートや監督だけでなく、クラブのスタッフ、裏方への気配りや思いやりも欠かさない。自然と周りに人が集まり、慕われる。「陽」のイメージが強く、「陰」を一切感じさせなかった。
サッカー人生で最大の危機を中学生の時点で経験していたとは、その姿から想像がつかなかった。だが、目の前で「きゃっきゃっきゃっ」とボールを追いかける子どもたちを見ていると、逆に納得する自分もいた。不遇な環境でも闇に飲み込まれない底抜けの明るさ、人を引きつける力が太田の魅力であり、現在の“無料”活動の源流にもなっているのだと。



