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大谷翔平エンゼルス入り決定の瞬間…“熱血GM”が尻もちをついた2回目の電話「一つ言い忘れたことがあってな」 

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ジェフ・フレッチャー

ジェフ・フレッチャーJeff Fletcher

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posted2022/08/26 11:02

大谷翔平エンゼルス入り決定の瞬間…“熱血GM”が尻もちをついた2回目の電話「一つ言い忘れたことがあってな」<Number Web> photograph by Getty Images

2017年12月、笑顔でエンゼルス入団会見に臨んだ大谷翔平。チームメイト、そして多くのファンが大谷の加入を喜んだ

 獲得競争の初期にエンゼルスが勝てると考える人はほとんどいなかったが、あとで振り返ってみればそれほど驚くことではなかった。

 大谷がアメリカン・リーグに合っていることは明らかだったし、エンゼルスは日本人が多く暮らす西海岸にある。

 そして、エップラーの果たした役割は非常に大きかった。

 42歳だったエップラーは、24歳のときに年俸5000ドルでパートタイムのスカウト業に入ってからずっと球界にいるが、いろいろな人の声に傾聴する姿勢と外部の名案を積極的に導入する姿勢を貫き、ここまでの地位に登りつめてきた。

 現代のベースボールのフロント業務自体が進化するなかで、経営陣の大部分は、かつてプロ選手として活躍していたか、経済学、統計学、ビジネスで修士号以上をもっているかのどちらかになった。

 エップラーは、そのどれにも当てはまらない。肩の故障により選手は大学時代に断念していて、そののち不動産会社でファイナンシャル・アナリストに従事した。それでも野球への愛情が断ち切れずに球界の最底辺に潜り込み、スカウト業務のかたわら花の配達をしつつ、母親と同居していた。

 16年かけて少しずつ地位を高め、エップラーは2015年10月にエンゼルスで、全米でわずか30人しかいないGM職の一人にまで登りつめた。就任して数週間後に、すでに強烈な印象を植えつけていた。

高校時代から大谷を追いかけていた

「ビリーは、とにかく熱量がすごいんだ」

 エンゼルスでベースボールオペレーションディレクターを務めたジャスティン・ホリアンダーが振り返る。

「ものすごくポジティブな性格でね。器が大きい。いつも誰かがGMのオフィスに入り浸っているくらいさ。すごく親しみやすくて、誰とでも仲良くなれる人だよ」

 それがエップラーという男だ――親しみやすく、器が大きく、オープンマインドだ。だから、大谷を納得させてエンゼルスに呼び込むことができたのだ。

 大谷の選択がニュースとなったあと、とある代理人が野球記者のケン・ローゼンタールに言ったとおりだ。

「エップラーの功績だよ。100%間違いない。オオタニが高校にいたころからずっと追っていて、間違いなくプレゼンテーションで感嘆させたはずだ。この功績は大きいよ」

 エップラーはそんな称賛の声に嬉しさを隠さないが、あくまでも自分ではなく、エンゼルスが大谷を呼び込んだのだと強調している。

「ここには、家族のような居心地のよさがあると感じてくれたんだ。そして、今後、何年もそんな家族の一員になりたいと思ってくれたんだよ」

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