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プロ野球PRESSBACK NUMBER
野村克也「お前、監督やれ。オレは楽天に行く」シダックスでノムさんの後任になった男が告白する“苦しみ”「眠れない夜が続きました」
text by
加藤弘士Hiroshi Kato
photograph byKYODO
posted2022/07/22 17:02
2002年11月~2005年11月まで3年間シダックス野球部監督を務めた野村克也。写真は2005年、後任監督となった田中善則コーチ(当時)との記者会見
「『固定観念は悪、先入観は罪』とミーティングでもおっしゃっていましたが、野村監督は決めつけないんです。まずフラットな状態で、自分の目でしっかりと観察する。その上で判断する。だから選手はやる気になった。それが勝ち出した理由の一つです」
素朴な疑問を投げかけられたこともある。
「田中、何で社会人の選手は、30代になると下り坂になって引退するんや? プロならまだまだ稼ぎ時じゃないか」
45歳まで現役を続けた男ならではの問いだった。
「プロに行けなかった選手は、家庭もありますし、同世代が仕事を覚えて出世しているのを見ながら野球をやっているんです。辞めた途端にイチから仕事を覚えるとなると、葛藤もあります。ならば少しでも早く社業に就くという考え方も、あるにはあるんです」
野村はうなずきながら、こう返した。
「好きな野球をやっているんだから、経験をそんな簡単に捨てるな! 俺ならしがみついて、1年でも長くって思うんだけどな」
自らが歩んできた人生を、誇らしく思う言葉に聞こえた。
「お前、監督やれ。俺は楽天に行く」
05年、野村が就任3年目の秋のことだ。ジャイアンツ球場室内練習場での練習を終えると、田中は野村に呼ばれた。
「お前、いくつになった?」
「38です」
「若いな」
「若いです」
「お前、監督やれ。俺は楽天に行く。次の監督はお前がいい。お前なら『ノムラの考え』を継いでくれるから、選手もやりやすい。考えを継承してくれるのは、俺も嬉しいから」
野村は田中が必死に野村の野球理論を学習し、実践していることをよく見ていた。選手から人望が厚いことも把握していた。
一日考えた。翌日に「正直、監督が辞める時は自分も辞めると覚悟していましたが、迷いは振り切りました。引き受けます。自分で良ければ精いっぱいやらせていただきます」と返事をした。野村は安堵の表情を浮かべた。
光栄だったが、そこからは苦行だった。