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11年前、なぜ甲府だけが伊東純也の才能に気づけたのか? 中田英寿も獲得したスカウトが語る「無名の神奈川大1年のスピードにビックリした」
text by
栗原正夫Masao Kurihara
photograph byJ.LEAGUE
posted2022/04/20 12:10
カタールW杯最終予選で4試合連続ゴール…救世主となった伊東純也(29歳)。11年前、なぜ甲府がいち早くその才能に気づけたのだろうか?
「当時の甲府はJ1でしたが、(試合出場への)ハードルはそれほど高くなかったですから。選手の価値は試合に出場することで上がりますし、仮にJ1にいて出場機会が限られるなら、J2で常に出場した方が経験を積めます。大きなクラブで試合に出たり出なかったりを繰り返すなら、たとえレベルが低かったとしても90分フルに何試合も続ける方が、よっぽど選手は成長するものです」
伊東のキャリアを振り返れば、高校、大学はもちろん、甲府、柏、ヘンクとプロ入り後も常に試合に出場できる環境だったことが成長に欠かせない要素だったのだろう。
森は湘南時代、中田だけでなく、石原直樹(元湘南)や中町公祐(現ムトンド・スターズFC)といった全国的に知られていなかった高卒選手を発掘している。甲府に移ってからは佐々木や伊東のほか、稲垣祥(現名古屋)ら大卒の選手を獲得した。彼らは早くから試合出場を重ね、プロとして順調なステップを踏んでいる。
「自分が獲得した選手が成長してくれるのはうれしいですよ。ただ、クラブとしては数年先を見ているので、伊東のように1年で出ていかれてしまうと喜んでばかりもいられないんですけどね」
森自身、かつては湘南の前身、日本リーグのフジタ工業でプレーし、日本代表への招集歴もある選手だった。29歳で現役を退き、当初はコーチを希望していたものの、スカウトに就いた経緯がある。だからこそ誰もが知る出来上がった選手を獲得するよりも、これから成長するような選手を獲得したい意向があるのだという。
「スカウトは、いい選手を競い合って獲得するのが大切だと教えられ、最初は僕もそう思っていました。ただ、最初に運よく中田は取れましたが、そのあとは柳沢(敦)も中村(俊輔)も高原(直泰)も来てくれない。そんななか路線を変えて獲得した石原や中町らとの出会いが大きかった。1年では無理かもと思いながら2、3年経つと芽が出てきて、その感覚はそれまでにない快感でした。
大きなクラブにいれば、履歴書に代表歴がないような選手を獲得することは説得力を欠きますが、僕が仕事をしているのは甲府という地方クラブ。正直、すでにアンダー世代の代表に入っている選手にあまり魅力を感じないですし、選手の名前も覚えていません。そこは、他のクラブに任せて僕は他で探します、と。そもそもU-18にしてもU-20にしても、誰かが選抜した枠組みで、それに縛られなくても自分なりのU-18やU-20を作ってその選手たちをチェックすればいいわけですからね」
“弱小校”がベスト16にいったら何かある
石原や中町はJリーグで確かな実績を残し、伊東のみならず、佐々木や稲垣も代表歴がある。学生時代は全国的に無名でも森が発掘しプロ入り後に化ける選手は少なくない。どうやって鼻を利かせているのだろうか。