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11年前、なぜ甲府だけが伊東純也の才能に気づけたのか? 中田英寿も獲得したスカウトが語る「無名の神奈川大1年のスピードにビックリした」
text by
栗原正夫Masao Kurihara
photograph byJ.LEAGUE
posted2022/04/20 12:10
カタールW杯最終予選で4試合連続ゴール…救世主となった伊東純也(29歳)。11年前、なぜ甲府がいち早くその才能に気づけたのだろうか?
「スピードに圧倒されましたが、全然うまくないんですよ。いまでこそゴールライン深くまでドリブルでえぐり、高速クロスを上げますが、大学時代はそのままタッチラインに出てしまい相手のゴールキックになるシーンも多かったですし(苦笑)。ただ、そうした下手さは直るんですが、どんなにトレーニングをしても足は速くなりませんから。視察をするなかでは、この選手をどう使ったら生きるか、甲府で育てられるのかどうか、そんなことをずっと考えていました」
2013年12月24日クリスマスイブ。神奈川大学が主宰していたボランティアのサッカースクールを終えたあと、鎌倉のハンバーグ店で大学3年になっていた伊東と初めてじっくりと話した。甲府の練習招待の件だった。
「そのときの印象は、マイペースでFWらしいなと。中盤から後ろの選手は割と、理論家が多いのですが、伊東は根拠のない自信に溢れていて、『オレ、何でもできます』『早く試合に出たいです』『何点取れますかね?』みたいな。よく言えば何事にも動じない、悪くいえば事の重大さを本当にわかっているのかなと思ったりしましたが、そんな性格が大舞台で活躍するにはよかったんですかね」
「最初の仕事が中田英寿の獲得(95年)だったので…」
2015年のプロ入り後、甲府で1年プレーした伊東は翌16年に柏へとステップアップし、19年2月にベルギーのヘンクへと移籍した。
「甲府には1年しかいなかったですが、ウチのカウンターサッカーではカットしたら伊東につなぐという形が非常に効いていました。レイソルに行ったときは、ボールを保持するサッカーのなかで対応できるのか心配もありましたが、そこはうまくやっていましたよね。
26歳で海外に行って、代表にもずっと呼ばれ、こんなに飛躍するとは思わなかったですし、すごいなと。僕はベルマーレ平塚時代、スカウトとして最初の仕事が中田英寿の獲得(1995年)だったので、2人を比較すると伊東が代表の中心でやっていることを不思議に思う部分もあります。ただ、技術はあとからつきますし、試合に出続けている経験が伊東を引き上げたんでしょうね」
石原、中町、稲垣…森が発掘してきた選手たち
森は、選手にとって最高のトレーニングは試合、選手が育つのは試合の数、と力を込める。逆にいえば、どんなスター選手でも試合から遠ざかれば成長は鈍化するということだろう。その点で、伊東にとってはプロ1年目から30試合出場(4ゴール)とピッチに立てたことは大きかったはずだ。