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<日韓戦>「緊張したけど気持ちで決めました」山田哲人が大爆発! シドニー、北京と五輪で日本に立ちふさがった宿敵・韓国を撃破
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byNaoya Sanuki/JMPA
posted2021/08/05 12:25
8回、勝利を決める3点二塁打を放った山田哲人
しかも開幕2戦目のドミニカ共和国戦に「1番・一塁」で先発したものの3打数無安打1三振に終わると、メキシコ戦までの6試合を消化した時点では14打数でわずかに1安打。気持ちだけが空回りして、凡打を繰り返す打席が続いていた。
そんな山田の転機となったのは、決勝進出を決めた後の予選ラウンド最後の韓国戦だった。
プレミア12での韓国戦でも大活躍
この試合で「1番・一塁」で先発すると初回にいきなり右翼線二塁打を放って、その後も左犠飛、左中間二塁打に四球と2安打2打点の大暴れ。韓国投手との相性の良さを買われて先発に起用された決勝の同カードでも2点を追う2回2死一、二塁から左翼席に逆転3ランを放って世界一奪回の立役者となった。
その一撃で稲葉監督の絶大な信頼を勝ち取り、この五輪では不動の1番打者として全戦で先発出場。初戦のドミニカ共和国戦では同点に追いついた9回1死一、二塁から中前安打でつないで坂本のサヨナラ打のお膳立てをすると、2戦目のメキシコ戦では4回に相手を突き放す3ラン。そしてこの日の決勝3点二塁打と、稲葉監督の期待にしっかりバットで答えを出してきた。
「96年は僕は4歳なので記憶に残っていないです」
野球の世界一を決めるWBCでは2006年と09年の1、2回大会でいずれも韓国を撃破して頂点に登り詰めた。しかし初めてプロ選手が参加した2000年のシドニー大会の3位決定戦、オールプロのドリームチームで臨んだ08年の北京大会の準決勝(04年のアテネ大会は韓国が予選敗退)と五輪の舞台では常に日本の前に立ちはだかったのは韓国だった。
その宿敵を破っての決勝進出は、日本にとっては1996年のアトランタ大会以来25年ぶりで、オールプロのドリームチームでは初めて銀メダル以上を確定させるものだった。
「96年は僕は4歳なので記憶に残っていないです」