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戦力外通告されたブラジル名手 ロナウジーニョは夜遊び、悪童エメルソンの斜め上すぎる解雇理由とは
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byGetty Images
posted2020/11/18 06:00
(左から)アドリアーノ、ロナウジーニョ、エメルソン。一時代を築いたアタッカーだが、戦力外通告の理由は人それぞれである
皇帝アドリアーノもインテルで……
2000年代前半にイタリア・セリエAを席巻して「インペラトーレ」(皇帝)と呼ばれたCFアドリアーノが2009年にインテルから引導を渡されたのも、衝撃的だった。
リオの貧民街で生まれ育ち、2000年に17歳で地元の名門フラメンゴからデビュー。身長189cm、体重100kg前後というプロレスラー顔負けの巨体で、左足から放つシュートの威力が凄まじかった。
19歳でインテルへ移籍し、当時中田英寿が在籍したパルマへのローンを経て2003年途中にインテルへ呼び戻されると、大爆発。ブラジル代表にも招集され、2004年のコパ・アメリカで得点王。ブラジル優勝の立役者となり、大会MVPに選ばれた。
当時22歳で、誰もが「世界フットボール史上有数の選手になる」と考えた。
酒浸りになり低迷、常軌を逸した事件も
しかし、この年8月に最愛の父親が死去。本人はこのように話している。
「心に大きな穴がぽっかり空いてしまった」
ショックを癒そうと酒浸りになり、心身のバランスを崩す。2006年W杯に出場して2得点をあげたが、セレソンは準々決勝で敗退。以後、インテルでのプレー内容は年を追って低下し、2009年4月に契約を解除された。27歳になったばかりだった。
その後アドリアーノは古巣フラメンゴへ復帰したが、幼馴染の犯罪組織幹部との交友が伝えられ、ガールフレンドと口論して木に縛りつけるという常軌を逸した事件も起こした。
ローマ、コリンチャンスなどに在籍したが全く戦力にならず、2016年に引退した。