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戦力外通告されたブラジル名手 ロナウジーニョは夜遊び、悪童エメルソンの斜め上すぎる解雇理由とは
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byGetty Images
posted2020/11/18 06:00
(左から)アドリアーノ、ロナウジーニョ、エメルソン。一時代を築いたアタッカーだが、戦力外通告の理由は人それぞれである
遅刻、欠勤は当たり前のエメルソン
2000年から05年までコンサドーレ札幌、川崎フロンターレ、浦和レッズで規格外のスピードと決定力を発揮したエメルソンは、度重なる練習への遅刻、欠勤でも名を馳せた問題児だった。
リオ郊外の「家にはトイレも床もなかった」(本人)という極貧家庭に生まれた。名門フラメンゴの大ファンで、プロ選手になることを夢見たが、栄養不足で体が小さかった。息子の将来を案じた母親が実際より2歳9カ月若い出生証明書を偽造し、これを携えてサンパウロの下部組織のテストを受けて合格した。
18歳(実際には21歳だった)という触れ込みで日本へ渡り、大活躍。2005年の浦和退団後は、アルサッド(カタール)、レンヌ(フランス)を経て2009年、憧れのフラメンゴに入団する。しかし、高給で誘われてほどなくアル・アイン(UAE)へ移り、翌年、やはりリオの名門でフラメンゴの宿敵フルミネンセに加わった。
ライバルクラブの歌を口ずさみ解雇
この年のブラジルリーグ優勝を決めるゴールをあげるなど勝負強さを発揮し、すべてが順風満帆と思えた。しかし2011年、コパ・リベルタドーレスの試合前にチームバスの中で「フラメンゴ電車は止まらない」という当時フラメンゴ・ファンの間で流行していた歌を口ずさんだ。
これにクラブ関係者が激怒し、会長が解雇を言い渡した。当時、32歳だった。
さすがのエメルソンもこれには悄然としたが、サンパウロの強豪コリンチャンスからオファーを受けて承諾した。すると、この“失意の移籍”が吉と出る。
闘志剥き出しのプレースタイルがサポーターから喝采を浴び、レギュラーに定着。翌年のコパ・リベルタドーレスの決勝第2レグでチーム全得点(2点)を叩き出して初優勝。クラブ史にその名を刻んだ。さらに、クラブW杯でも決勝でチェルシーを倒して世界の頂点を極めた。
この3選手は、それぞれの理由で「驚きの戦力外通告」を受けた。
その後、ロナウジーニョとアドリアーノは揃って7年間プレーしたが、もはや別人だった。しかし、エメルソンは新天地で奮起し、2012年、33歳(これは実年齢)にしてキャリアのピークを迎えた。
「驚きの戦力外通告」を受ければ、スーパースターであっても衝撃を受け、落胆する。しかしその後のキャリアで何を成し遂げるか、あるいは成し遂げないかは、各々の覚悟と才覚次第と言えそうだ。