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引退語るも「丸く」はなってない!
本田圭佑「僕の生き方を見て判断して」
text by
本田千尋Chihiro Honda
photograph byGetty Images
posted2019/12/12 07:30
「ある意味、半年間プレーしていないので引退選手みたいな」と入団時に語った本田圭佑だが、実際の試合ではブランクは感じなかったそう。
「次のステージ」「チームのバランス」を語る。
東京五輪を見据えて「次のステージに移って」(ヘーレンフェーン戦)、「チームのバランス」(フェイエノールト戦)を考えたボランチでのプレーに一定の手応えを感じつつ、連敗中のフィテッセの若手を慮る言葉は、幾多の戦場を潜り抜け、晩年に差し掛かった選手ならではの“心配り”のようだった。
だが、「収穫」と「反省」を手にして、さあこれからという矢先――結果として5連敗となった11月29日のヘーレンフェーン戦の後で、スルツキ監督が辞任を表明する。
本田は、沈痛な面持ちで語った。
「もう選手全員に(スルツキ監督)本人が話をして、これが現実なのでしっかり受け止めて、個人的には今日負けたら(辞任が)あり得るなと思って挑んで、負けた場合には監督が辞めるということは予期していないことではなかったので、そういう意味でも責任というか、彼がいたから(フィテッセに)来たという意味では、状況を救ってあげるために来たので、非常に残念には感じています」
本田がフィテッセへの加入を決めたのも、もちろん東京五輪のことが念頭にあったとはいえ、スルツキ監督からのオファーがあったからこそだった。
移籍加入の会見で、本田は「彼(スルツキ監督)からオファーを貰えていなかったら、ここではプレーしていなかったかもしれないですね」と実際に口にしていた。
「ここ(フィテッセ)に来る前は、僕は冬まで(移籍を)待つこともひとつ考えていたんです。けど、ここでプレーする機会を与えられるチャンスが来た。スルツキ監督からのオファーが、ここでプレーするきっかけになったというのは紛れもない事実ですよね」
CSKAモスクワでの4年間を共に戦い、自らを良く知るロシア人指揮官からの熱望だったからこそ、本田は、再び共闘することを決めたのだ。しかし、当のスルツキ監督は、フィテッセを離れることになってしまった……。
恩師が去ったチームでどこまでやる気が出るか?
ヘーレンフェーン戦の直後には、「チームが正しい方向に向かうために、コミュニケーションを取る役目をしっかり担いたい」と、今後もフィテッセのために戦うことを語った本田だが、スルツキ監督の辞任という衝撃が冷めていくうちに、その考えを少なからず改めたようだ。
翌週のフェイエノールト戦では、81分から途中出場し、「チームのバランスを考えて」プレーしたが、試合後に「問題は僕のモチベーション」と話している。
「監督がいなくなったことで、ここにいる意味がだいぶ半減しているので、その辺はちょっと、ここに来た時にも言いましたけど、冬の移籍も頭の中に入れているし、しっかりそこは考えたいなと思います」
フィテッセ加入の最たる理由だったスルツキ監督が去った。
であれば、自分はなぜ「ここにいる」のか。
そもそもロシア人指揮官のオファーが無ければ、本田は「冬の移籍」を考えていたのだから……。