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なぜ「ミスしても味方に謝らない」のか…「神」と海外選手の真の関係性とは【サラーの祈り】
posted2021/02/13 17:00
text by
中野遼太郎Ryotaro Nakano
photograph by
Getty Images
2020年シーズン、Jリーグベストイレブンの表彰式。
日本人選手が軒並み「チームメイトとスタッフ」に感謝の意を述べる中、オルンガ選手だけは、まず「神」に感謝を伝えていました。
神に感謝――僕たちは、外国籍選手が神に感謝している姿や言動を、すでに「サッカーでよく見る光景」の一部として受け入れていて、そこに改めて違和感を持つ人は少ないのではないでしょうか。たとえばモハメド・サラーが得点後に地面に額をつける姿を見ても「そういうゴールパフォーマンス」くらいの認識が定着しているように思います。
けれど、サラーが祈りを捧げることと、(たとえば)日本人が「かめはめ波」のゴールパフォーマンスをすることでは、持つ意味合いが全く異なります(鳥山明さんが「神」かという議論は他に譲ります)。
「神を信仰する」がサッカーに与える影響
僕たちは普段、宗教とサッカーを切り離して考えています。少なくとも、積極的に関連づけようとはしていません。しかし、サッカーが西洋・南米を中心に発展してきたスポーツである以上、必然的に両者は、容易には切り離せないほど深く結びついています。
大多数の日本人は(僕自身も含めて)、特定の宗教信仰を持ちません。自分の宗教観、何をどれくらい信仰し、それがどう日常生活とリンクしているのか、説明できる人は多くないはずです。それが良いとか悪いとか、そんなことを述べるつもりは寸分もありません。しかし僕が海外で生活を送ってきた中で、例えば試合前に膝をつき、肩を震わせながら祈りを捧げる選手や、眠る前に必ず聖書を読む同部屋の選手、オフの日に教会の枯葉を掃きに行く選手たちを見てきて、その挙動が一過性のパフォーマンスではないことは断言できます。
今回は、神を信仰する、ということが、サッカーに与える影響について、少しだけ紐解いてみたいと思います。毛嫌いしないで一読してみてください。