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<現役最終戦に秘めた思い(1)> 北島康介「最後の死にっぷりがはっきり分かった」

2020/09/02
他の選手が引き上げる中、北島はプールに一礼するまでの15秒間、息を切らしながらプールサイドに腰掛けた。
アスリートが現役生活に区切りを付けた、語られざる“決戦”。本連載では、最後の一戦を本人の回想とともに振り返っていく。第1回は北島康介。時計の針をリオ五輪の前に戻してみよう。

2016.4.8
日本選手権 200m平泳ぎ決勝
成績:5位 2分9秒96

   ◇

 東京湾に臨む辰巳国際水泳場のプールには異様な緊迫感が漂っていた。

 リオデジャネイロ五輪の選考会である日本選手権は5日目、最終競技を迎える。午後8時をまわっても誰も席を立とうとしない。人々が待っていたのは男子200m平泳ぎ決勝。北島康介にとっての五輪出場をかけたラストチャンスだった。

『第3レーン、北島康介、日本コカ・コーラ――』

 場内アナウンスとともに北島がプールサイドの入場口から姿を見せた。スタンドからは歓声とざわめき。

《おそらく、あの会場にいる誰もがオリンピックに行くのは厳しいと思っていたはず。でも僕は、それを覆すレースをしなければならないと考えていた》

 リオへの切符をつかむには2つの条件を満たさなければならなかった。(1)2位までに入ること。(2)派遣標準記録である2分9秒54を切ること。

 かつての北島であれば、難しい条件ではなかった。ただ33歳になった今は違う。準決勝のタイムは2分10秒台。むしろ劣勢から逆転を狙うという状況だった。

 アテネ、北京で金メダル。4大会連続出場。オリンピックの申し子ともいうべき国民的英雄がついに泳ぐべき舞台を失うかもしれない。もし、そうなれば……。

観衆もメディアも終わりを予感していた。

 人々は生唾を飲み下すように、ある予感を秘めていた。それがアリーナの空気を緊迫させていた。

 北島はこの独特の雰囲気が好きだった。17歳でシドニー五輪をかけたレースに挑んで以来、何度もこの痺れるような感覚に身を浸してきた。そして今、かつてないほど勝機の薄いレースに挑もうとしている。

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photograph by AFLO

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