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【高橋藍の兄・塁と母が語る】弟が大スターでも「家族の仲や絆が変わらない」…それでも、母が「産むところから、育て直したい」と語る理由は?

2024/10/13
(写真右)幼少期の高橋兄弟の2ショット。ふたりはいつも一緒に行動する仲の良さだった(写真左)京都市立蜂ヶ岡中の1年時はリベロで、3年生で兄の塁とともにプレー
常にポジティブで、ひたむきにボールを追う姿は多くのバレーファンの心を惹き付けてやまない。“理想の若者”はどのような育ち方をしてきたのか。ともに歩み続けてきた家族がその原点を明かす。(原題:[ニュースターの育て方]高橋家の流儀 母と兄・塁が語る藍との日々)

 日本代表のアウトサイドヒッター・高橋藍の兄・塁の、子供の頃の一番古い記憶は、5歳年下の妹が産まれる日の光景だ。分娩室には、母の小百合さんを囲んで、父、祖母、そして隣には2歳年下の藍がいた。

「初めて人が産まれてくる瞬間を目にして、衝撃的でした。お母さんがめちゃくちゃしんどそうで、おばあちゃんが『ちょっと頭出てきた!』と盛り上がっていて、お父さんはカメラを回しながら、焦りまくっていた。で、横に藍がいたんですけど、そのとき熱を出していたせいで、ずっと泣いていました。その光景はすごくよく覚えています」

 塁にとっては待ち望んだ瞬間だった。

「半分怖かったんですけど、僕はずっと妹が欲しかったので、やっと産まれてくる、みたいな感覚がありました。毎日お母さんのお腹に向かって、『女の子、産まれろー!』と叫んでいたぐらい、欲しかった妹がやっと産まれてくる瞬間だから、僕は妹に集中したかったのに、藍がずっと泣いていた。『うるさ! 今はお前ちゃうねん!』と思っていたのを覚えています(笑)。その光景を覚えているので、妹は『産まれてきた』という感覚なんですけど、藍はもう物心ついた時には横にいたので、一緒にいるのが当たり前でしたね」

Yoshio Hayakawa(Illustariton)
Yoshio Hayakawa(Illustariton)

藍は見たものを自分の体ですぐ真似できましたね。

 記憶には残っていないが、実は藍が産まれた瞬間にも、1歳7カ月だった塁は立ち会っていた。それが小百合さんの方針だ。

「家族なので、立ち会ってほしかった。自然とそういう考えで、立ち会いを受け入れてくれる病院を選んでいました。やっぱり見ていたほうがよくないですか? すべてにおいて、知っておいたほうが愛着も湧くだろうし。今はすごくみんな仲がいいんで、思い通りになってよかったなと思っています。団結力だけはあるんで(笑)」

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photograph by Takahashi Family

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