- #1〜
- #2
記事を
ブックマークする
「このタイミングか。マジかよ、と」柔道日本代表監督・井上康生は、なぜ選手を過酷な海外修行に送り出したか「マイナス何十℃の中、山を走っています!と(笑)」《栗山英樹ジャパンメソッド②》

井上康生メソッド Method
- 規律を守ることで、個性と主体性が磨かれる。
- 組織でのキーワードは「対話」と「共創」。
- 自己肯定力と最悪を想定する二つの準備力。
◇ ◇ ◇
2012年、柔道男子日本代表はロンドンの地で地獄を味わった。1964年の東京大会でオリンピックの正式種目に採用されて以来、初めての金メダルなし。この惨敗を受けて、篠原信一監督が辞任を表明した。後任として白羽の矢が立ったのは、井上康生。現役引退からまだ4年しか経っていない、34歳の天才柔道家だった。
栗山 日本代表監督就任を打診されたときは、正直、どんな心境でしたか。
井上 我々にとって憧れの職業ですし、いつか自分もその立場で仕事をしてみたい気持ちはありました。でも、まさかこのタイミングかと。雑な言い方ですが、「マジかよ」と思いましたね(笑)。
栗山 僕は50歳でファイターズの監督になりました。康生さんは当時、34歳。一般的に見れば、まだいろいろと学びたい世代だと思います。それでも、苦しむ日本柔道界を何とかしたかった?
井上 当時の私は、監督も未経験。外から待望論をいただいた一方で、「34歳の若造に、この重責が担えるのか」という声もありました。ただし何事に対しても、最終的には自分自身がいかに覚悟を持つかが非常に大事だと思っています。不安はありましたけど、それ以上に「よし。自分がやってやろう」という気持ちが上回ったんです。栗山 東海大の副監督、日本代表のコーチを務めていた頃から、関係者に「準備をしておけ」と言われていたそうですね。
井上 東海大の佐藤宣践先生からは、「もし自分が監督だったらどうするか、よく考えなさい」と言われていました。ロンドン五輪にはコーチとして参加しましたので、「自分が監督ならどういう人選をするか、どんな強化方針で進めるか」などを、勝手ながらメモ書きしていたんです。そういう考えがあったことで、監督としてもすんなりとスタートできた気がしますね。
プラン紹介

「年額プラン」もしくは「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています

「年額プラン」もしくは「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています
この連載の記事を読む
記事