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「(新庄が)チームを変えましょうって」1992年の阪神タイガースはなぜ“暗黒時代”の狭間で輝いたのか?《“ヘッスラ”亀山努と“幻弾”八木裕が振り返る》

闇が深ければ深いほど、そこに差し込む光のまばゆさは鮮烈である。
1992年は春、まさに春だった。阪神にとって久しぶりに心躍る季節になった。それまでの過去5年の順位は66566。最下位4度。凍てついた暗黒の世界に光芒をもたらしたのは、瀬戸際に追いつめられたバットマンのハッスルプレーだった。
劇的に潮目が変わった一戦がある。
4月8日、巨人戦。
阪神はヤクルトとの開幕カードを1勝1敗で乗り切り、前夜はシーズン初対戦の巨人に敗れていた。そして、この日も1回に2点、2回に2点を失い、東京ドームのマウンドには斎藤雅樹が仁王立ちしていた。
今年もあかんのか……。黄色いレフトスタンドには早くも白旗ムードが漂いはじめた。斎藤は前年まで10連敗した天敵中の天敵だ。しかも、巨人には過去3年で21勝57敗。勝ち目などないに等しかった。
3回、阪神は反撃して1点をかえした。
さらに1死一、二塁で打席を迎えたのが、シーズン初スタメンだった亀山努である。
外角低めのシンカーを引っ掛け、鈍いゴロがセカンド篠塚利夫の前に転がった。
その直後である。頭から一塁ベースに突っ込み、内野安打をもぎ取ったのだ。チャンスを満塁に拡げ、同点に追いついた。
亀山は5回、バントで一、二塁間に転がした。再び一塁に頭から滑る。足で稼いだ内野安打が勝ち越しの起点になった。
亀山の2本の内野安打は斎藤を攪乱し、攻略の突破口になった。なにより、2度のヘッドスライディングはチームの鬱屈した雰囲気に風穴を開け、世界を一変させた。
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