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<現役最終戦に秘めた思い(2)> 野村忠宏「わかっているのに体は動かなかった」

2020/09/16
対戦相手の椿に一本負けを喫した野村。両手を広げ天井を見上げた瞬間、約3000人が詰めかけた会場から拍手が巻き起こった。
'04年の五輪3連覇から11年後の夏。40歳の小さな巨人は、決断を下し宣言する。「現役最後の勝負、精一杯戦います」。五輪なき戦いに挑んだ柔道家は最後に何を得たのか――。

2015.8.29
全日本実業柔道個人選手権
60kg級 3回戦 vs.椿龍憧
成績:一本負け(腰車)

   ◇

 あれは10歳の頃だったか。小学校の放課後の出来事だった。ケンカの原因は定かでないが、掃除当番をやるやらないというような些細なことだったと記憶している。

 背の順で並べばクラスで一番前になる自分に、最後列にいるような大柄の子がつかみかかってきた。咄嗟に胸ぐらをつかんで押し返す。その時だ。体が勝手に動いた。世の中が急に軽くなったような感触とともに、気づけば大きな相手がポーンと飛んでひっくり返っていた。

 教室の片隅で起きたこの小さな事件は、なぜか、金メダリストの頭にずっと残った――。

もう戦える身体ではない

 野村忠宏はホテルのベッドに横たわっていた。灯りを落とした部屋の傍には開襟シャツの医師がいる。右肩へ、続いて両膝の関節へと、ドクターは薄闇に光る注射針を順番に刺していった。

《ああ、もうこれで終わりか……》

 夜が明ければ最後の試合だ。日本柔道界の英雄は40歳で戦いに幕を降ろすと決断した。5日前にマスコミにも発表していた。もう後には戻れないのだ。

 それでも野村の心には自らを引退に追い込んだ肩や膝の怪我に対して、いまだに恨めしい気持ちがあった。

 とりわけ致命的だったのは7年前に前十字靭帯の再建手術をした右膝だった。クッションの役割をする軟骨がすり減って失くなってしまっていた。膝を曲げると骨と骨がゴリゴリとぶつかり合うような痛みがあった。鎮痛のためのステロイドを打てば動けるようにはなるが、回数を重ねるごとに効果は薄れていく。1カ月に1回だったのが10日に1回のペースになり、打ち続けると周りの組織が弱っていくという悪循環になっていた。

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photograph by AFLO

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