親は反面教師。失敗も隠さない。(初出:Number874号トップアスリートの育て方)
初めて訪問した家なのに、久々に親戚を訪ねたような懐かしさと安らぎを覚える。玄関先やリビングの気取らない空間が何とも心地よく、挨拶もそこそこに足を崩す。ボクシング世界王者の自宅は、3匹の小型犬が主役の、ごく当たり前の家庭だった。
リビングの中央には大きな丸テーブルがデンと鎮座している。回転テーブルには、小さなシミやキズが無数に刻み込まれ、使い込まれた木板から、これまでに家族5人が語り、笑い、労わり合った匂いが立ち昇ってきそうだった。
その座卓に座っていると、これから練習に行くという井上尚弥が迎えてくれた。はにかみつつ訥々と語る青年は昨年末、プロアマ通算159戦でダウンしたことがなかったWBO世界スーパーフライ級の絶対王者オマール・ナルバエスを、ほんの6分で沈めてしまった、“怪物”と同一人物には思えない。真っ直ぐに伸びた指には傷一つなく、いかに理に適った効率的な練習をしているか、その白い手が証明していた。
伸びをしたくなるような心地いい家族の空間、そして世界王者でありながら奥ゆかしい青年を作り上げたのは父・真吾(43)と母・美穂(43)の丁寧な“時の紡ぎ”だった。
芯の強そうな美穂が、隣でマシンガントークを続ける真吾を見やりながら、微笑む。
「外見は強面でしょ。でも、喋り出すとフレンドリーな人柄が分かるみたいで、皆さん、外見と中身が一致しないとおっしゃいます」
風貌のことは僕の親に言ってくれ、と真吾は妻を睨み返すものの、眼鏡の奥の目は優し気だ。
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photograph by Hiroaki Yamaguchi