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2000年の新庄剛志がタイガースに残したもの「ツーさんは勝負の時しか…」「ライトスタンドが一斉に敵に」《坪井智哉、桧山進次郎が証言》

2025/04/29
自身最多の28本塁打、球宴での一発、NPBにおける20世紀最後のサヨナラアーチ。絶大なインパクトを残し、彼は海を渡った。ともに外野を守った2人のチームメイトが振り返る、気高き虎の4番の素顔とは。(原題:[盟友の回想]2000年の新庄剛志)

 漆黒の闇を切り裂き、白球がレフトスタンド場外へ消えていく。ベンチからその行方を見送った坪井智哉は、思わずうなった。

「この試合では、ぼくが先にホームランを打ったんです。そうしたら『俺も打ってくるわ』と宣言して、きっちり打ってしまったんです。もうさすがだと思いましたね」

 2000年7月26日、長崎で行なわれたオールスター第3戦のこと。8回表の打席に向かう新庄剛志は、すでに3ランを放っていたタイガースの後輩に予告して、生まれ故郷のスタジアムにアーチをかけた。MVPは清原和博に譲ったが、ホームランを含む3安打。名実ともにオールスターの仲間入りを果たした。

 球宴だけではない。2000年の新庄は、打率.278、自身最多のホームラン28本、85打点と数字を残した。ホームランには先制や逆転といったいわゆる“役つき”のアーチが多く、9月30日のカープ戦で放ったシーズン最後の一撃はNPBにおける「20世紀最後のサヨナラ弾」となった。

 応援ボイコットにさらされた3年前のオールスターは過去の出来事。記憶に加えて数字も残す男へ、そして甘いマスクのプリンスから明日のミスタータイガースへ。スターへの階段を駆け上がる新庄は、暗黒に射し込む希望の光であり、在阪メディアは連日その動向を追い続けた。当時、新庄グッズの売り上げはタイガース全選手の8割に達したと報じられた。

JIJI PRESS
JIJI PRESS

坪井「ツーさんは率にはまったく興味がなくて」

 果たして新庄は、化けたのか。

 公私にわたって行動をともにしていた坪井は、あっさり言い切る。

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photograph by Naoya Sanuki

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