#1024

記事を
ブックマークする

<現役最終戦に秘めた思い(14)>松本薫「投げられた瞬間、気持ちよかった」

2021/04/14
講道館杯1回戦、東京学芸大3年(当時)の高野(上)に敗れた直後。東京五輪代表選出の可能性も潰えた
ロンドン五輪で男女合わせて日本柔道唯一の金メダリストとなった“野獣”は、現役最後の畳に上がると、自ら敗れることを望んでいた。

2018.11.4
講道館杯全日本柔道体重別選手権
女子57kg級 1回戦 vs.高野綺海
成績
延長合わせ技一本負け(小外掛)

   ◇

 会場の千葉ポートアリーナは、野望を漲らせた柔道家たちの熱で張り詰めていた。

 その緊迫の中、女子57kg級の松本薫は開始線に立った。そして、もう自分が勝負師でないことを悟った。世の中から「野獣」と呼ばれる、その源である勝利への渇望がほとんど失われていたのだ。

《試合会場に入った時から勝とうと思っていない私がいて、ああ、勝負師としては終わったんだなと思いました》

 勝利への尋常ならざる執着こそが松本の武器だった。これまで、その獣性を研ぎ澄ますために多くの儀式をつくり上げてきた。試合会場へ向かう道中では気持ちを高揚させるため、戦闘の始まりを告げる音楽を脳に聴かせるようにしてきた。会場に入れば、昂りの証拠として腹を下すのが常だった。ウォーミングアップ場でも、相手選手と目が合えば逸らさず睨み続けることも儀式の1つだった。すべてが勝利につながるステップだった。

 ただ、この日は単にルーティンをなぞっているだけだった。道すがら自分がどんな音楽を聴いてきたのか覚えておらず、会場で腹を下すこともなかった。目つきだけは鋭く繕ってみたが、それも内面が伴わなければ、空虚な行為に過ぎないのだとつくづくわかった。

《いつも試合直前は相手のことしか見えない状態になっているはずなのに、スタンドに娘の姿を探したんです。どこにいるかなって……》

特製トートバッグ付き!

「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています

photograph by KYODO

0

0

0

前記事