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【秘話発掘】「仰木監督の親心だったと思います」“現役晩年”の岡田彰布はオリックスでどんな花道を歩いたのか《田口壮、新井宏昌の証言》

2024/12/07
1994年、虎を追われた36歳のスターに手を差し伸べたのは、青波の名将だった。指導者への第一歩を踏んだ神戸での日々を、同じユニフォームを着た2人が振り返る。(原題:[現役晩年秘話]仰木彬が作った最後の花道)

 今を遡ること30年――。

 1994年の年が明けて、36歳の岡田彰布はオリックスの選手となった。大阪で生まれ育ち、父の関係で子どもの頃から身近にあった阪神にドラフト1位で入団して14年。1554試合に出場し、1485本のヒットを打って245本のホームランを放った関西のスタープレイヤーは、同じ関西の不人気球団、オリックスへ入団することを決断したのである。

 1992年からの2年間で一気に出場機会を奪われた岡田は'93年のオフ、阪神から戦力外通告を受けた。そんな岡田に声を掛けたのがオリックスの監督に就任したばかりの仰木彬だった。選手として不完全燃焼のまま阪神のユニフォームを脱ぐことになった岡田に対し、仰木は選手として燃え尽きること、やがて阪神へ指導者として戻るために勉強すること、この2つを挙げてオリックスへ誘ったのだ。オリックスの一軍打撃コーチだった新井宏昌はこう話す。

「仰木監督にしてみれば、岡田という選手の先を見越していたんだろうと思います。いずれ引退する一流選手の晩年を一緒に過ごして、いい形で次に進んでほしいという……仰木監督は清原(和博)にもノリ(中村紀洋)にも同じ気持ちで声を掛けていました。その先駆けが岡田だったということでしょう。岡田が阪神でいい終わり方をしていなかったので、最後の花道としてパ・リーグを経験して違う野球を見るのもいいんじゃないかと考えたんだと思います。レギュラーとして期待するというより、左ピッチャーのときに代打で出ていくとか、一緒にやっている若い選手に岡田の練習や行動を見て勉強してほしいとか、そんな期待をしているんだろうと思っていました」

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photograph by SANKEI SHIMBUN

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