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【告白】「もっと野球のことを聞いておけばよかった」T-岡田が振り返る“生みの親”岡田彰布の遺産とは?「当時は監督の言葉から逃げていた…」

2024/12/08
今季限りで現役引退を表明したオリックス・T-岡田
「貴弘」から「T」となったプロ5年目の2010年に大ブレーク。きっかけを作ってくれたのは登録名変更を発案した指揮官だった。現役に別れを告げた大砲が、厳しくも得難き3年間を回想する。(原題:[オリックス時代の回想]T-岡田「“生みの親”が残してくれたもの」)

 体が脈打つ。それが緊張を示すサインであることをT-岡田は知っている。

 9月6日。オリックスに現役引退の意向を告げたあと、胸の鼓動を抑えながらスマートフォンを手に取った。

「今年で辞めます」

 T-岡田が決断を報告したのは、阪神の監督である岡田彰布だった。

「お疲れさん。何年できたんや」

「19年できました」

「ホームラン王獲れたし、よかったやん」

「はい。お陰様でいい野球人生でした」

 T-岡田が19年の現役のうち岡田の下でプレーしたのは2010年から'12年である。

 わずか3年ながら、通算204本のホームランを記録するなどの「いい野球人生」を踏み出す重要な期間でもあった。T-岡田にとって岡田は、今でも緊張するほど畏敬の念を抱く存在だというが、大事な恩師だからこそ直接、感謝を述べた。

「あの3年間がなかったら、ここまでできていなかったのは絶対にありますからね」

 ふたりの「岡田」が初めて出会ったのは、T-岡田がまだ本名の岡田貴弘だった'09年である。43試合に出場し7ホームランと、ようやく一軍定着への足掛かりを築いたプロ4年目の秋にオリックスの監督となったのが、岡田だった。

試合前にT-岡田のフリー打撃を見守る岡田監督(左)と高代延博ヘッドコーチ(当時) SANKEI SHIMBUN
試合前にT-岡田のフリー打撃を見守る岡田監督(左)と高代延博ヘッドコーチ(当時) SANKEI SHIMBUN

 秋季練習から合流した新監督は、口を歪ませていて雄弁ではなさそうだった。「怖いんかな?」と思っていたが、期間中にスポーツ紙に目を通すと、自分に期待を寄せてくれているようだった。記事にはこう書かれていたと、なんとなく覚えている。

〈ええのおるやん。あれ、どうにかせなあかんなぁ〉

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photograph by Shinryo Saeki

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