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1979年「実は僕も江川卓のトレード候補だった」“空白の一日”を巨人の左腕エースはどう見ていたのか「江川本人が気づくわけないんだから」
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元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph byKYODO
posted2026/07/31 11:01
球界のみならず、日本中を揺るがした江川卓の「空白の一日」の発表。一連の騒動、そして江川という男を当事者の巨人のメンバーはどう見ていたのか?
「そもそも僕は小学生の時には野球をしてなかったんです。中学生になってから始めて、甲子園に出ることができた。高校で準優勝して静岡に帰ってきてから、いろいろな球団の人が車でやってきて大騒ぎになりました。でも、僕はプロ野球を見たことがなかったし、『それはなんだ?』という感じでした。
もちろん、野球というスポーツのことはわかっていますよ。でも、プロ野球がどんなものか、どんな選手がいるのかというのは全然知らない。まわりの人の意見を聞いて、巨人に入ることになったんです」
新浦と江川の“似た境遇”
新浦は大会後に高校を中退し、ドラフト外で巨人に入団した。先述の通りこれは当時、新浦が韓国籍だったために可能となったのだが、その後ルールが改定され、「日本の学校に所属した選手はすべてドラフトにかける」ことになった。
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まだ10代だった新浦には、自身で決断できるだけの材料も知識もなかった。
「話がどんどん進んでいくなかで『俺はこうしたい』とか言えるものじゃない。だから、江川の問題が起こった時、その大変さがよくわかりました。協約を読み込んだうえで、『空白の一日がある』なんて、江川本人が気づくわけがない。誰かがそれを見つけて、お膳立てをしたということでしょう」
本人があずかり知らぬところで物事が進んだのだろう、と新浦は推測する。
「結果的に、小林が犠牲になってトレードされたことに対して、よく思わない選手が巨人にもいたでしょう。でも、僕はそういう感じではなかったですね。高校を中退してドラフト外で入団した人間だから、どうこう言うこともないから」
新浦は江川よりも4歳上で、すでに3年連続で二けた勝利を挙げた実績もある。
「高校時代、江川というピッチャーがいるということは聞いていました。ものすごく速いボールを投げるし、三振も取ると」
江川のトレード候補に挙がっていた?
法政大学で通算47勝(歴代2位)を挙げた江川がドラフトの目玉として騒がれた1978年秋の時点では、新浦との接点はまったくなかった。
「あの『空白の一日』があって、一旦、阪神に入った江川が巨人の誰かとトレードになるという話になりました。その相手として僕の名前も挙がっていたそうです」
コミッショナーの要望通り、巨人と阪神の間で交渉がまとまった。キャンプ地に向かう羽田空港で呼び止められたのは、1978年に新浦の15勝に次ぐ13勝をマークした小林だった。
〈つづく〉

