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「バカ野郎、俺が勝っても何ともならん」ダイエーは負けても負けても「これでいいんだ」!? 剛腕でチーム再建へ、根本陸夫監督の“深謀遠慮”とは
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2026/06/25 11:04
自分が監督なのにチームが好調だと困惑していたという根本。その裏でフロントとしての剛腕で好選手を続々と獲得する
あの王さんが、福岡へ来る——。
2024年に、ソフトバンクの1軍監督に就任。その1年目からチームをリーグ制覇に導き、2025年はリーグ連覇、さらには5年ぶりの日本一に導いた小久保裕紀は、プロ2年目を前に飛び込んできた大ニュースの衝撃を、今も忘れない。
「54歳になった今でも、やっぱり深く、強烈な印象として残っていますね。あの世界の王さんが、福岡に来られるっていう衝撃ですね」
世界の王が、ハワイまで視察に
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小久保は、ルーキーイヤーの1994年オフ、米・ハワイで開催されたウィンターリーグに派遣されていた。日本の各球団から複数の若手選手が派遣され、混成チームを作って戦う方式で、王はその若き大砲候補を、ハワイまで視察にやって来た。
「たまたま、その日勝てば優勝が決まる、っていう大一番だったんです。ウィンターリーグとはいえ、試合前に『王監督が来られる』ってなって、めちゃくちゃ緊張したんです。その試合、決勝ホームランを打つことができたんです。観戦してもらった試合で、来年から一緒に戦う一人の選手がホームランを打ったというのは、スタート地点としては、かなり有利に働いたんじゃないかな、と思いますね」
小久保は50試合に出場、打率.370の首位打者、打点王とMVPも獲得する活躍ぶりだった。当時のダイエーは、三塁・松永浩美、遊撃・浜名千広がレギュラーの座を掴んでいた。小久保は自らの可能性を広げるべく、ウィンターリーグ全試合で二塁を務め、4番に定着した2年目の1995年、初の本塁打王に輝く飛躍を見せている。
〈つづく〉

