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「バカ野郎、俺が勝っても何ともならん」ダイエーは負けても負けても「これでいいんだ」!? 剛腕でチーム再建へ、根本陸夫監督の“深謀遠慮”とは
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2026/06/25 11:04
自分が監督なのにチームが好調だと困惑していたという根本。その裏でフロントとしての剛腕で好選手を続々と獲得する
負けることに慣れてしまっていたチームの“土壌”を入れ替えるべく、根本は監督業の傍ら、チームの戦力整備にも注力していた。
瀬戸山は、幾度となく、根本からその必要性を説かれていた。
「ホークスは、ずっとBクラス。このチームはもう同好会だ。みんな、チームが勝つために動いとらん。自分のことしか考えとらん。自分がヒットを打ったら喜んで、自分がタイトルを獲ったら喜んでいる。そんなチームじゃ勝てん」
西武は絶対、秋山を出すから
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そこで根本は、最下位に終わった1993年オフ、西武の外野手・秋山幸二の獲得へ動き出した。熊本・八代高で「エースで4番」の二刀流だった秋山は、九州産業大への進学意向を打ち出していたが、ドラフト指名のなかった選手を獲得できる「ドラフト外」という当時の制度を使い、根本が口説き落とすことで、1980年にプロ入りさせている。だから、根本にとっては縁の深い選手でもある。
秋山は1987年に本塁打王、1989年には打率.301、本塁打31、盗塁31で当時史上5人目となる「トリプルスリー」を達成、1990年には盗塁王を獲得した。打って守って走れる西武の大スターだが、当時の西武監督・森祇晶との関係がよくない、という根本だからこそ掴める裏情報をもとに「西武は絶対、秋山を出すから」と瀬戸山に耳打ち。さらに「情報を漏らすな。だから、中内オーナーにも最後まで黙っておけ」と釘まで刺して秘密裡に交渉を進めると、ダイエーからは1992年に首位打者と盗塁王のダブルタイトルを獲得した外野手の佐々木誠、3年連続開幕投手の村田勝喜、サイドスローの変則左腕・橋本武広の3人、西武からは秋山、1988年の西武ドラフト1位右腕の渡辺智男、身長1メートル86の大型右腕・内山智之の3人による3対3の大型トレードを実現させた。

