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現役時代は中田英寿・森保一と同僚…日本人指導者が見た“マンCグループ”の舞台ウラ「全員、五つ星ホテルに」インドでビックリした話
text by

田村修一Shuichi Tamura
photograph byJ.LEAGUE
posted2025/09/28 11:25
サンフレッチェ広島時代の宮澤浩
「イギリス人の監督(デス・バッキンガム)がいて、僕はヘッドコーチでした。横浜F・マリノス(シティグループは株式の約20%を保有)とは異なり、ムンバイは100%シティグループのクラブです(2019年に傘下入り)。ユニフォームから何から全部シティと同じでした」
――すぐにリーグ戦を戦ったのですか。
「前年に優勝して、その後、僕たちが引き継ぎましたが、1年目は全然成績が良くなかったんです。ムンバイシティ自体も、サッカーのやり方もチーム運営もそれほどシティの色に染まっていませんでした。僕たちが初めてシティのサッカーのコンセプトを叩き込まれた。マンチェスターにテクニカルチームがいるのですが、彼らにコンセプトとかメソッドとかコンディショニングの作り方とかを1から10まで……」
オンラインで叩き込まれた「シティ流」
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――マンチェスターでどのぐらいの期間研修をしたのですか。
「それがコロナで行けずに、オンラインで研修を受けました。シティが持っているプラットフォームがあって、そこではすべての情報を共有している。コンセプトもチームの作り方、方法の落とし込み方も、すべてオンラインで学びました。
でも1年目は、4チームが勝ち上がるプレーオフにも進めなかった。するとちょっとざわつくじゃないですか。前の年に優勝しているので、ファンやオーナーも大丈夫かとなる。
ただ、マンチェスターのテクニカルチームが『彼らはちゃんとやっている。しっかり補強して体制を整えれば成績を出すから』と言ってくれた。練習も試合も全部見てくれて――ハーフタイムに選手にどんな声掛けをしているかを、オンライン映像で流しているのですが、そういうのを全部見て『彼らは大丈夫だ』と。
シーズンが終わったタイミングでACLに出場して、凄くいいパフォーマンスを見せた。シティのあの難しいサッカーを、成績に一喜一憂せずにやり続けた成果が現れて、ACLの直前にドバイでキャンプしたのですが、練習試合でアルアイン(UAE)に勝ったんです。そこで風向きが変わり始めて、選手もようやくシティのやり方に慣れてきた。その流れでACLに行きました。
アルジャジーラ(UAE)には負け、引き分けでしたが、イラクのエアフォースクラブには連勝した。アルシャバブ(サウジアラビア)に連敗したので、グループリーグ突破はなりませんでしたが、インドのクラブがACLで勝ったのは史上初でした。その流れで次シーズンに向けての補強もしっかりできた。
アンジェさん(アンジェ・ポステコグルー)の横浜FMも似たような感じだったと思います。

