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「甘じょっぱい…家族みんなが大好きだ」ハッピーターンも新潟も鹿島も…MFレオ・シルバが語る日本とJリーグ愛「マドリーと真剣勝負できたのも思い出」
posted2026/03/12 17:01
鹿島時代のレオ・シルバ。アルビレックス新潟時代にはハッピーターンが大好きだったことでも知られる
text by

沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Kiichi Matsumoto,Wataru Sato
レオ・シルバは、ブラジル北東部マラニョン州の州都サンルイスで生まれ育った。
赤道から281kmだけ南にあり、年間を通じて1日の平均気温が摂氏30度から33度という熱帯の地だ。地域の経済力はあまり高いとはいえず、ブラジルではフットボール過疎地とみなされている。そこからどのように育ち、日本へと渡ってきたのか。日本でのキャリアについて語ってもらった。
生まれて初めての雪…でもクラブが万全のケアを
――2013年、アルビレックス新潟へ移籍しました。そのいきさつは?
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「2012年末に新潟のクラブ関係者がブラジルを訪れ、ポルトゲーザでの僕のプレーを見て気に入ったそうだ。それで、オファーをくれたんだ」
――当時、日本についての予備知識なり情報はあったのですか?
「日本代表が1998年W杯に初出場し、2002年にW杯を韓国と共同開催してベスト16に食い込んだこと、2010年W杯でもベスト16入りしたことは知っていた。それとは別に、2004年、18歳のときにブラジルU-19代表の遠征で静岡へ行って、日本と日本人に好印象を持っていた。新潟が提示した条件も良かったから、妻の承諾も得て、契約書にサインした。4年契約だった」
――新潟は寒冷地です。熱帯地方で生まれ育ったわけですから、寒さには苦しんだのではないでしょうか?
「生まれて初めて、大変な寒さ、そして雪というものを体験した。でも、慣れるしかない、と思った。生活面ではクラブ関係者が万全のケアをしてくれたから、ほとんど問題はなかった」
日本語を勉強し、慣れていった
——Jリーグの第一印象、そして当時の柳下正明監督からは、どのような指示を受けたのですか?
「選手がよく走り、攻守の切り替えが速く、基本技術がしっかりしている。チーム戦術も徹底されていて、想像以上にレベルが高かった。柳下監督からは常に危険なスペースをカバーし、ボールを奪うと素早くパスを出して攻撃へ移ることを求められた」
——ボランチは、攻守の要となるべき重要なポジション。チームメイトとのコミュニケーションはどうだったのですか?

