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現役時代は中田英寿・森保一と同僚…日本人指導者が見た“マンCグループ”の舞台ウラ「全員、五つ星ホテルに」インドでビックリした話
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田村修一Shuichi Tamura
photograph byJ.LEAGUE
posted2025/09/28 11:25
サンフレッチェ広島時代の宮澤浩
彼も1年目は結果を出せなかったけれども、ブレずにやり続けて的確に補強し、次の年に爆発した。僕らも同じでした。次の年にスーパーリーグのほぼすべての記録を塗り替えて優勝した。この成功体験は大きくて、ブレずにチームを作ってコンセプトを確立し、そのサッカーに合う補強をすればチャンピオンになれるのだと思いました。攻撃に針が振れた、自分たちでボールを握るハイラインのサッカーです」
インドでの補強戦略、その舞台裏
――選手はインド人が主力ですか。
「そうですが外国人を6人使えるんです。お金があるので外国人のクオリティは高く、Jリーグでも普通にやれるレベルでした」
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――チーム全体をボトムアップする作業は難しくはなかったですか。
「難しかったです。特にインド人選手にとっては。あのサッカーをやるのは凄く大変だったと思います。でもそこも補強をして――次の年にそれを体現できる選手をキーのポジションに補強して、外国人も1年目からはガラッと変わりました。スペイン人や、アルゼンチン人のストライカーを獲ったり」
――シティが作った選手リストの中から、お互いの合意の上で決めたのでしょうか。
「各ポジションに補強のポイントがあって、僕らの場合はトップ下とストライカー、センターバックでした。それぞれに30人ぐらいのリストがシティから来るんです。その中から6人を選んで、優先順位をつけてレポートを書く。だからオフには凄い量の映像を見ました(笑)。ただ、実際に来てくれたのは、6人の中の4番目か5番目で。トップ3は金銭面や他からのオファーなどの理由で断られました」
――それでもクオリティのある選手たちだった。
「レベルとしてはラ・リーガ2部の選手が多かったです。30人のうち3分の2ぐらいがそうで、モロッコ人だったりセネガル人やアルゼンチン人だったり……」
――インド人の方はどうピックアップしたのでしょうか。
「国内リーグも1シーズン戦ってきたので、どんな選手がいるかだいたいわかる。それで僕たちが志向するサッカーに合う選手を選びました。各ポジションのプロファイリングは決まっていて、それに合う選手リストを作って、クラブとして獲りに行きました」
――効率よく選手は獲れましたか。
「インドの国内では、ムンバイシティでやりたいという選手は多い。ただ、予算規模でいうと、僕たちは1番じゃない。モフン・バガンという、お金がケタ違いにあるクラブがカルカッタにあって、そこには負けます。またインドのシリコンバレーといわれるバンガロールもお金を持っていて、僕たちは3番目でした」
シティ流スカウティングのリアル
――横浜FMを見ていて思いましたが、非常に無駄なく補強をしていて、名前とか関係なしに、本当に必要な選手が獲っていました。

